見出し画像

PLAN75を観にいきました。

PLAN75をみた。
その後、ツイッターの
#プラン75は是か非か  という答えを書くつもりでいた

映画鑑賞後の非常に嫌な重い気持ちが
どこからくるのか

消化するまでに時間がかかった

これは是か非かを問うような問題ではなく

絶対いけないことだ。

本当に死にたくてそこにたどり着く人は
いないだろう

PLAN75は
治らない病気で
苦痛が激しくて、の尊厳死とは別物である

老後の貧困、孤独、家族への負担を考え
これしか解決策がないように追い込まれていく

まるで真綿で首を絞めるように
支度金の10万円や
葬儀の心配がいらないこと
将来の子供の役に立つかのように
優しい顔をみせて追い込んでいく

若者がお年寄りのせいで
税金やいろいろな面で不利益になるから
お年寄りをいらないと考える
というのは

想像力の欠如だとおもう

皆、自分の今の姿が永遠にあるように
おもうけれども

明日は我が身なのだ
社会的弱者の立場に
自分がなることも。

映画の中で、生きることは決められなかったが
死ぬことは自分で決められていい、というような
くだりがあったようにおもうが

本来、私たち、生き物に
産まれてくる自由も、死ぬ自由もない

親ガチャとか、いろんな言葉はあるが
生きるも死ぬも、どんな家族かも
自分がもつ遺伝子もなにもかも
運命的に決まってしまって

自分の死だって、いつか、どんなふうかも
誰にもわからない

でも、いつかの最後まで
できるだけ頑張って生きる
ただそれだけなのだ

PLAN75の是非を問うような世の中で
あることが

とても悲しい

自己責任論だけで割り切れるような
世のなかではないと
私はおもう。


 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?