はっちゃん、またね
2021年12月3日 愛犬ハツが亡くなりました。
わずか6年半、長いような短いような。それでいて愛すべき日々でした。
2週間ほど経って、ようやく少し落ち着いたのでハッちゃんが生きた思い出を少しでも残しておきたく思います。
本当に個人的な思い出、というよりは覚え書きに近いものなので、特に誰かに読んでほしい等の思いはありません。もし興味があればどうぞ。
あと、思い出したら画像など追加することがあると思います。
我が家の娘は沖縄で生まれて小学校3年まで沖縄で育ちました。
しかし、私の父が危篤から要介護状態になり、叔母がヘルプを求めてきたので家族ごと実家の在る大阪に戻ることになったのです。
その時、娘は大阪に行く条件を出してきました。
「寂しくないようにペットがほしい。犬が良い」
大阪に移り住んだあと、割と早い段階でポメラニアンの保護犬を迎えることに。
2015年4月15日、和歌山の白浜町「犬御殿」さんからハッちゃんがやってきました。
動物愛護団体のワンライフの担当さんがケージからハッちゃんを出した時にあまりの可愛さに変な声が出たことを昨日のように思い出せます。
ちなみにハツという名前は犬御殿にいたときからの名前で、そのまま引き継いで呼んでいました。
自分よりもずーっとべったりくっついていたのは誰よりも大阪での初友達を望んでいた娘さんでした。
あまりにくっつくので、ハッちゃんが若干引き気味になっていたのを覚えています。
ハッちゃんはここに来る前は犬御殿さんで多頭飼いされていたとのことでした。その前はブリーダーの繁殖犬だったそうで、そのブリーダーが崩壊した後レスキューされたそうです。
後に悪くなった足にはなにかで縛られたかのような輪っか状の傷跡が残っていました。
もしかすると足かせをつけられていたのかもしれません。あくまで想像でしか無いのですが、もしこれが原因で足関節を悪くしたのだとしたら…悪徳ブリーダーは許せません。
結婚式の引出物のカタログでケージ(バスケット?)をGETしたけど、体が大きすぎて結局物入れになってしまいました。
まだ部屋の片隅に残ってます。
愛嬌いっぱい、かつおとなしいハッちゃんは家族からイジられまくりますw
色んな表情を見せるハッちゃん。
家族揃って色んな所に行きました。
妻の人が旅行好きで、巻き込まれるようにハッちゃんも同行しました。
旅行に行くときは車で行くことがほとんどで、道中よく高速道路のドッグランに立ち寄りました。
家に居てもハッちゃんのいる生活は楽しいものでした。
奈良の竜田川で買ったはんてんは闘病生活時にずっと着ていました。
食欲旺盛なあまり、太り過ぎで気管虚脱になってしまったことも。
その後体重制限を厳し目にしてました。
その頃に発覚したのですが、もともと心臓も弱く、後ろ足の関節が曲がっており、老後は歩けなくなる可能性があると言われていました。
2021年10月18日
ある日、突然の異変。
嘔吐、食欲不振、もうろうとしてへたり込んでしまったハッちゃんを妻の人が病院に連れて行ってくれました。
その後検査の結果、腎不全レベル4 余命いくばくという状態でした。
なんとか立って歩ける状態になったのもつかの間、朦朧としているのかいつもなら滑って歩くのを嫌がるフローリングや、絶対立ち寄らない玄関前などに行く奇行を見せ始めました。
おそらく尿毒症によるものだと思われました。
舌先が壊死し、水も飲めない状態になったのでシリンダーで腎臓食と水素水を与える日々が続きました。
それでもサプリメントやオゾン療法のかいあってか、なんとか一命をとりとめて1ヶ月半がんばってくれました。
我が家にはハッちゃん以外にももう一匹居ます。
後輩のミニチュアダックスフントのリリアです。
この二匹は仲が悪いわけではなかったけど、あまり絡みがなかったです。
それでもこの時は流石に心配だったようで、よく様子を見に来ていました。
声をかけながらシリンジで食事療法を頑張ってくれた妻の人。
忙しいのによく頑張ってくれました。
自分も一緒にやってはいたのですが、より積極的に頑張ってくれました。
本当に頭が上がりません。
「はっちゃんが冷たくなってる」
起こされた後の虚脱感もまだしっかり覚えています。
今まで飼ってきたペット、母、祖父、祖母、父、妻の親族、色んな死を乗り越えても、なお辛い別れの時が必ずやってきます。
泣かないで笑って見送ってやろうと決めていたのですが、火葬場の煙突から出る煙が見えた時にボロ泣きしてしまいました。
あの時ああしておけば、もっとああしてあげればよかった。
そんなことを思うのはおこがましい事だと誰かが言っていました。
やれるだけのことはやった。
そう思うのが正しい。
だけどやっぱり。色々思うんですよね。
別にきれいごとにする必要もないし、生在るものはすべて死ぬんだしこれと言って特別なストーリーではないのですが、このはっちゃんと過ごした大事な時間をなにかの形に残したかったので、これで満足です。
今度こそ笑いながら日記書いてさよならできるかなと思ったけど、
やっぱり無理だったね。泣くわ。
いつまでも覚えてるからね。
はっちゃん、またね。
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