「一方的」をなんとなくかき集める
若者のすべての歌詞考察は、書きかけでうまくまとまらず、結局まだまだ完成しそうにありません。コマッタな。
「文喫」に行きました。みかんも終わって暇な24時間から、なんとか逃れたくてやってきた六本木。いいなと思った本を1冊積み、また1冊積み、それだけで幸せになる。本は読まないと意味がないという当たり前を覆してくれた積読という言葉に、とても感謝しています。
さて今日思ったのは、本は非常に一方的なものであるということ。自分の書きたいことを、ひたひた、書き連ねて、出す。近日文喫では「手紙展」と言うのが開催されていて、誰かへの手紙を投函し、また誰かからの手紙を読んでみたのですが、これも非常に一方的なものでした。
なんなら歌や短歌、お絵かきもすべて一方的なもので、逆に双方の利益や気持ちを加味しないといけないのって人間関係と仕事だけじゃんか、という気づき。大事な人との良い関係を保つため、もしくはその延長線上にある利益を確実に自分のものにするため、それ以外はなにも見られ方を考える必要はないのだなという気づき。
私は好きな本を積んでいるし、それぞれの本が激しく主張してくれているからこそ、積みたい本を選べている。そう考えると、自分が思っている以上にもっと、生活の色んな部分を一方的にしてみたいなと思いました。こだわって、主張して、はげしく、そして選び抜いて。
2020.2.21
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