2020年の秋の話

お気に入りの格好で近所の八百屋へ行き、夕食の献立を考えながら買い物をした秋の夕暮れ。
なんじゃこりゃ、これが幸せというやつか!!と呆然としたという話。


お気に入りの格好というのは大好きなFLORENTのストライプのブラウスと品の良い光沢のあるやさしい色味のロングスカートで、ここのグレイともブラウンともつかぬ絶妙な色合いの布地がとにかく最高なのです。
フィットフロップのトングサンダルをよく履く。メタリックなチョコレート色の合皮がとても好きなのである。

で、私はペディキュアを塗ってないとテンションが上がらない民で、一年のほとんどは見えようが見えまいがペディキュアをしている。

今は秋になったのでカーキをメインに、ゴールドのラメを所々アクセントにしている。

(これは去年の秋に書いたきりすっかり忘れていた下書きなのです)

このたび念願の正社員になったというのに、1年で派遣社員に逆戻りしてしまった。


あれだけ、格差社会おそろしや!成り上がってやる!と息巻いていて、派遣の契約期間(産休されていたお嬢さんは無事にかわいい男の子を出産し、復帰しました。ほっとしました!)が終わる前からひたすらに就活をしてやっと正社員雇用で採用されたというのに!

辞めた理由のひとつにペディキュアやってる精神的余裕がなくなっていた、ということがある。
ふざけた話だけれども、精神状態のバロメーターなのだ。
現に忙しすぎて職場の階段からは落ちるし、車で30分の帰宅中の記憶がなく、事故りかけることもしばしばだったし、とうとう目眩で起き上がれなくなったし片耳は聞こえず肩は上がらないし頭痛がひどい。私史上マックスでやばい。

ぶっちゃけシャレにならんかった、今でも後遺症がある。どうしたもんか。
もちろんペディキュアどころの騒ぎではない。
このままでは鬱まっしぐらだな!と慌てて退職届を出した。

ブラック企業とまではいかないけれども、かなり濃いグレーではあった。いやブラックだな?

ただ、現場の人々は皆とてもとても善良な良い人で、これでも労基が一度入ってマシになったのよー、と全てを許してはないものの受け入れていて、良い人達だからこそ、辞めたいと口々に言いながらも1人でも減れば更に状況がヤバくなるので誰も辞められず、手を繋ぎながら溺れている感じがしていた。
友達になりたかったけれども、彼女たちはさっさと裏切った私を許しはしないとも思う。
そこだけは未だに未練があるけれども仕方がない。

もちろん提示されていた勤務時間とも大違いで帰れる時間も日々まちまちで、夕食の支度は先に帰った旦那にしてもらっていたし、帰れてもその場しのぎで慌ただしく作っていて、やっつけ仕事な感じが自分でもイヤだった。


一日中走り回って頭を使いまくった仕事中の殺気だった感じが家でようやく抜ける頃がイコール睡魔の訪れでもあり、旦那ともあまり話ができていなかった気もする。
旦那のボケをうっかり真顔で切って捨ててしまい、しょんぼりさせることも多かった。かわいそうに。
今にして思えばたぶん私を笑わせたかったのだろう。とても反省している。

それがだ。
収入は3分の2になったものの、精神的、身体的余裕はプライスレスである…!

(追記 サビ残や、補助の全く出ない自家用車での社用の遠方外出とか、そういう諸々を精算したら更に差が縮まってしまった…しかもご時世的にボーナスはほとんど出なかった、利益すごかったのにな)

定時で必ず仕事が終わり、帰りに夕食の献立を考えながら買い物ができる。
旦那が季節の変わり目で風邪っぽかったなあ、とか考えながら早生みかんを買うとか、厚揚げを見つけて、これをこんがり焼いて熱いうちにじゅわっとお醤油たらして生姜と鰹節をのっけて食べたらさぞかし美味かろう…とにまにましたり、そんな余裕がある。

収入が減ったとはいえ、旬のうちにいっぱい食べとこう、とマスカットや梨を買ったりするくらいのことは出来る。

あれ?このくらいの幸せで充分じゃね?と、帰り道でふと思ったわけですよ。

いやいや、今までもね、何度もそんなことを考える機会はありましたよ。
でも秒で「そんなの負け惜しみwww」「そう思っていればラクですよねwww底辺乙www」などなどと私の思考は延々と続くのです。

今回は体のほうが先にギブしたけれども、私の場合は、肥大した自己愛が悪い方向に向いていて、とにかくワガママで堪え性がない。すぐに、やってられっか!となってしまう。

ぶっちゃけ、自己否定が激しいくらいが会社員は続くのである…。
他に雇ってくれる所なんかないとか、自分なんぞを置いてくれるだけで感謝せねばとか思って耐えていると、余程のことがないかぎり辞めようなどと思わないのだ。

良い会社ならいいけれども、そうでなければ労働力や誠意を搾取されっぱなし、何もかもやられっぱなしが当たり前になってしまう。
そういう諸々を良し悪しどちらととるかは人それぞれだし、私にもなんとも判断し難い。

自己否定の激しさをカウンセラーの養成講座で指摘され、なるほど確かにこれはイカンなとコツコツその芽を摘み始めてからのほうが仕事が続かないのである。転職が多い。

己を損なう違和感に早く気づくようになったといえば聞こえはいいけれども、社会人としては完全に失敗作である。

資本主義国で労働に向いてないなんてヤバくないですか!
そしてこれ、貧困に直結している。

普通に、どんどん採用されにくくなってゆくのである…。

そして今回、あまり長々と寝込んでもいられないので就活はせずに派遣会社に頼った。

また派遣に逆戻りである。

初日の試験の結果が良く、お褒めに預かった流れで、家から車で2分というド近所に即採用が決まってすぐ初出勤となった。

あまりの早さに体のほうが準備が整わず、働きながら治していくことになった。おい大丈夫か。

それもどうかと思うけど、完治するまで家で寝てたら食っていけないのである。


こういう雇われに向かないタイプの人間が考える選択肢に、起業がある。

(雇われるほうが断然ラクなんですけどね)

起業して自分で稼げるようにならなくてはならないとか、好きなことがあったとしても、それで稼げなければ意味がないとか思いながら数年経ったけれども、起業などしていない。

起業してまでやりたいことが、ない。

好きなことはたくさんある。
料理、ビーズ細工やらレジンやら手先を使うことはほぼなんでも、読書や食べ歩き、宝石も服もネイルもと、とにかく幅が広い。
けれども全部、稼げるほどのレベルではない、という理由で全否定していた。
マネタイズできないものに存在価値はない。

こういうことも全部自己否定から始まっている。
根が深い問題ですね…。


仕事が続かない自分はダメだとか、趣味をマネタイズできない自分はダメだとか、そういうことを考えていると、自分を見失う。
何が好きかを忘れてしまうのだ。実際、私は上記のたくさんの好きなものを長い間すっかり忘れていた。おそろしい。

というわけで、お気に入りのスカートの裾からのぞく、久々にきれいに塗られたペディキュアに、夕食の買い物の入ったバッグの幸せな重さやいつのまにかやってきた秋の夕暮れの涼しい風の全てに、うおおおお、となっている。 

私は!私は今!とっても幸福だ!!

また負け惜しみ云々という己のツッコミも聞こえるけれども、今回という今回こそは、これでいいような気もしてきた。
勝ち負けではないような気がする、それに、これ以上の幸福って何があるんだ?とか思えたりもした。

夕食は美味しかったし、早生みかんは大当たりだった。
これをぽちぽち打ってる間、旦那は時々咳をするけれども概ねよく眠っているようだ。

おいしいものを食べます。