少年、少女

もう少しで29歳になる。

高校の頃に書いたライフプランでは26歳くらいにけっこんして、28歳にはこどもがいるはずだったから、既に自分が思い描いた未来は来なかったことになるのだけれど、それでも、刻一刻と、「30歳」「30代」は目の前にやって来ていて、少しうんざりする。

こんな時代、今は、きっと、もっと自由なはずだ。
時代に関係なく、無限の選択肢の中から、何を選ぶのも自由で、時に、偶然のタイミングが重なったりして、それが人生になっていく。
そして、今、その選択肢の幅広さをより多くの人が把握していることで、人は、これからを選びやすくなってきたのではないか、と思うのだ。

それでも、なんとなく心のうちで「結婚したい」「家族のいる未来を描きたい」と思ってしまうのは、自分や家族の過去、周りにいる同世代や友人たちの今を気にしていることに他ならない。

子供の頃からこれまでの人生、「かわいい」よりも「かっこいい」と言われて喜んできた。「かわいい」とも言ってもらえたことはあったのだけど素直にそれを受け取れず、自分は男性的なのだと、信じ続けてここまで来てしまった。
なにが女性的で、何が男性的か、なんて、今となっては大人も判断できないだろう、という結論に至るのだが、過去の私(もしくは私を育てた母)は、物事を丁寧に進められないことや、スカートを履いた時に大人しく遊べないこと、おままごとが出来ないことは、「女の子らしくない」と思っていた。
だからこそ、「ピンク」も「フリル」も「スカート」も全部避けて、なるべく、可愛く見られないようにしてきたのに、世間でもかわいいとされるキャラクターや動物は好きなまま歳を重ねた私は、やりたいことも、着たい服も、どことなく「少女性」を秘めたものに変わっていった。

だれにも、そういう部分はきっとあるとは思うのだが、過去からこれまで、他人の目を常に気にしてきた事で、私の中の少女と少年はいつだって複雑に絡み合い、どちらからともなく、不意にそれらが顔を出し、恥ずかしくなったりモヤモヤしたりする日々が続いている。

そのどちらも抱えた状態が紛れもない今の私である、と認識はしているつもりだが、どちらの自分も根本的には認められなくて、28歳の私はもっと、こんなはずだったのだ、という理想を捨てきれずにいるのだ。

少年のように、冒険しながら生きる未来は、女の私にも選べたはずで、それでも、少女漫画の主人公のように、恋をして、誰かと生きていく未来を、どうしても、いつも、夢見ている。

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