文学部哲学科

文学部に哲学科がぞくしていることは、しばしば奇妙だといわれます。それにはいろいろないわれがあるにせよ、いちばんコアのところをとっていえばこうなりましょう。文学部のかなめは人文学である。しかるに哲学は人文学ではない、あるいはそれにはつきない。だから哲学科が文学部にあるのは変だ。だいたいこういう運びです。このようになおしてみますと、ずいぶんあらっぽく、このままでは理屈としてたちゆかないのですけれども、いまは仔細もうしません。
わたくしも、このような考えには、長年どこか共感するところがあります。とはいえ、10年たらず、古典哲学を専攻し、日々をそっくり文献学者のまねごとで過ごしてしまいました。経歴には執着が生まれてしまいますから、哲学科が文学部にあるということに、もうすこしこだわってみたい、という気持ちも消しがたい。じっさい、それなりには意味、わけがある、と思ってもきました。
個人の経験をのべます。わたくしは運がよく、哲学を学ぶなかで、さまざまな専門をもつ方と縁をもちました。わたくしとおなじく、古典哲学を研究するひとのなかにも、古代哲学、中世哲学、17世紀哲学、輓近のドイツ哲学、20世紀の大陸ヨーロッパ哲学など、ひろくいろいろな関心がみられました。ゆるやかに分析哲学とよばれる世界の方も少なからずおりました。そのなかにももちろん、分野やもっと細かいテーマの点で、広がりがあります。
領域がちがってくると、狭いサークルに閉じてしまって、互いに交流がみられなかったり、人的な交わりがあっても学的な交わりはない、という状態は、世にありがちなことですし、またそうなるのも自然のなりゆきと思います。さいわいは重なるもので、わたくしのいた環境は、たがいに、心では思うところがあるのかもしれないにもせよ、社交辞令以上の礼儀を示し、学問的に接するのがつねのことでした。
美しい思い出を語るとき、軽やかな心地になるのが、おのれでもよくわかります。言葉は流れるように出てくる。とはいえ、くわしいことは、またべつの機会にとっておくにして、ここでは勉強会、読書会の件を述べたいと思います。わけても、数学の勉強会、経済学の勉強会などもありましたけれど、思い出したいのは、哲学の勉強会です。いろいろなひとと、いろいろなものを読みました。時には英語圏の知識論やメタ倫理学の近年の重要文献などを、時には西洋古典語や初期近代英仏語でかかれたクラシカルな文献などを読みました。あるいは前者のようなものを古典哲学のひとをまじえながら、あるいは後者のようなものを分析哲学のひとをまじえながら、読んだのです。
もちろん、おのおのの文献には、固有の文脈や背景がありますし、向き合うひとにも、バックグラウンドやふだんの仕事によって手つきや引き出しの種類やそれぞれの豊富さに違いが出ます。けれども、といいましょうか、だからこそ、ともいえましょうか、わたくしたちには、共通の課題として、目の前のテクストをしっかり読む、ということがありました(暗黙の了解としてあった、あるいはあったと推測される、ので、べつに示し合わせて確認したわけではありません)。このために章節の構成をおさえるのはもちろんのこと、段落の配置、段落内の文章の結構、とくに古典的テクストのばあいは語どうしの配列や語ひとつの選択に至るまで、盛んに議論しました。そうしてテクストとしての解釈を決め、このあと、たっぷりと内容の吟味を行う。進みは遅いけれども、批判的に、しかし着実に哲学の文献を読み、ものにしている、という実感がありました。
三流文献読みでしかないわたくしが、鋭敏な知性に囲まれた勉強会に或るていどついていけたのは、このように、テクストを丁寧に読む、という慣いのゆえもあったと思います。きちきちと細部を詰め、揺るがしがたいところはそうと見定めるまで、揺れがありうるところは、どんな証拠が出揃えばどんな解釈が定まりうるかを洗い出すまで、文字と、その背後にそれと一体となっている事柄とにはりつきます。
さて、わたくしはこれが、このような慣いが、文字の学、レ・レトルたる人文学の、基本のキと思っております。基本というのは、もちろんこういう学問の段階をあがるうえで最初のほうに踏まえるべきことである、といういみでもありますし、そればかりでなく、その本質、本領、欠かせないものといういみでもある、と思います。哲学と哲学書を読むこととはちがう、とは申しましても、哲学者が哲学をするにも、哲学書を読むところから始めたり、必要の養分を受けたりするものです。読むものや、そこから進んだところでのやりかたはちがうかもしれないにしても、古典読みの哲学者でも、今めいた大陸の流儀の哲学者でも、分析哲学者でも、おおもとでその点に変わりはない、とは断ってよいでしょう。そのとき、テクストの読みをきびしくする、という点も、共有の性向であり、構えである、とも、加えられるでしょう。このかぎりで、哲学者の学び舎である哲学科が、文学部にぞくするにも、相応のわけがある、と、いっていえなくはないのではないか、と思ってきたわけなのです。
けれども、ちかごろツイッターなどを眺めますと、このような思いは妄想、そこまでいわずとも理想視の凝固物でしかなかったのだろうか、と、ショックを受けることも、ずいぶんあります。一定のモチーフ、一定の様式、一定の鍵語だけから、いろいろなことを推測し、定かにはいわれないことをあたかも定かであるかのように見立てたり、かえって定かであることを存在しないかのように見過ごしたりすることが、いったいいつから、わたくしたち哲学者にはふつうのこととなってしまったのでしょう。古きよきいみで、文学部哲学科なる理念は、臨終にさしかかっているのもしれません。寿ぐべき展開であればそれもやむなしでしょうけれども、はてさて、というところです。

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