夕方、ゲリラ豪雨が降っていた。激しく強い雨を見て今日の帰りの運転は気をつけないとなんて思っていたけれど、いざ帰る時間になると雨は止みすっきりした空になっていて拍子抜けした。

発進してから少しして初めて気づいた。虹が出ている。ちょっとびっくりした。前回虹を見つけたのはいつだったか思い出せないくらいには久々に見たのだ。虹の色は薄くなってきていて、だから目が離せなかった。

長い信号待ちの間、虹をずっと見ていたらどんどんセンチメンタルな気分になってしまって色んなことを思い出した。

高校1年生になって間もない頃。当時の私は第一志望の高校に通えたにも関わらず環境になれず毎日絶望を味わっていた。進学校ゆえの課題の多さ、テストの点数を常に重視する特進クラスゆえの重圧、常に余裕がなくてなかなか心を開ける友達が出来なかった。色んなことが重なって学校に行くのが怖かった。
ある日の学校終わり、最寄駅を降りた時にたまたま小学生の時の幼なじみと遭遇した。幼なじみと目が合うとどちらからともなく駆け寄って、歩幅を合わせて歩いた。彼女は開口一番に「今日の虹、ほんまに綺麗やったね」と言った。その日の朝、登校時に見た虹が綺麗で私もそう思っていた。彼女の純粋さがむず痒くて、でも誰かとこういう細やかな会話がずっとしたかったんだという本心に気付いて、彼女と別れた後しばらく涙が止まらなかった。

次に思い出したのは大学生の頃。「虹の足」という詩で有名な吉野弘の訃報を受けて一人暮らしのアパートで泣いていた。今はそうでもなくなってしまったのだけれど、私は小学生の頃から大学を卒業するまでずっと詩が大好きだった。詩を読むこと、書くことは何よりの生きがいで、近代詩の研究が出来るゼミのある大学を基準に選んでいたくらいだ。あの頃は本当に熱心だったなと思う。社会人になってしまって、私は心を塞ぎ込むようなことが増え、気づけば詩を読めなくなってきている。社会人になって、魔法が解けたように詩を書くことが出来なくなった。それでも中原中也は私の心を慰めてくれるけれど、現代詩は本当に読めなくなってしまった。なんでだろう。喪失感で胸が痛むばかり。

最後に思い出したことは、虹を見つけるたびに写真を撮りに行ってしまう母の後ろ姿だ。買い物帰りなど運転中に虹を見つけると母は決まって車を道端に停め、小さな体を必死に伸ばしてじっくりと画角を決めたかと思うと勢いよくシャッターを切る。手のひらサイズのスマホに母の精一杯が、大事な一瞬が閉じ込められ保存されていく。父親が運転手の時もそうだ、虹を見つけるといいところで車を路肩に停め、助手席の母が車から降り、写真を撮り始める。その様子を運転手の父と後部座席に座っている私と妹が見守る。見慣れたいつもの風景だ。それなのに私はその風景を長らく見ていない。私がそこにいないからだ。
大学進学とともに実家を離れ、大学で出来た恋人を追って更に県外で就職し、いよいよ結婚してしまった。私にとって地元は高校生まで生活をしていた場所となり、もう8年ほど別の場所で暮らしている。今25歳なので人生の約3分の1は地元以外の場所で暮らしていることになる。
私はそのことについて、最適解を見つけ出せていない。いつか場所を問わず仕事が出来るような職種に就けたらもっと実家に帰りたいなあなんて思う。物書きとかね。今の腕じゃ一生無理だろうけど。

そんな帰り道だった。今日、夫は仕事が休みなので家で私の帰りを待ってくれている。家に着いたらすぐ声をかけて一緒に虹を見たいな、なんて思ったけれど残念ながら帰宅する頃には虹は完全に消えていた。
大切な記憶もいつかこんなふうに消えてしまうんだろうな。

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