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隣人


#くるみ割り人形

仕事から帰ってくると今日も聞こえる。かの有名なくるみ割り人形。正確には金平糖の精の踊りというらしい。ネットで調べたのだから、間違いないだろう。
いつからともなく聞こえ始めたその音楽は、どうやら隣の家から流れているようだった。テレビをつけていれば聞こえない程の音量であるが故に、最初は全く気にも留めていなかった。ところが最近になって、チャイコフスキーが作ったあの原作とは少し違うような気がしてきた。そもそもこの音に耳を傾けるようになったのはあの日からー



#ネギトロ丼

あの日も仕事で疲れて、家に帰ってからすぐソファに倒れ込んでしまった。
機械のゴキゲン取るより、断然むずいわ人間関係。明日は休みだし、このままぼーっとしちゃってもいいんだけど、月末だからってコンビニでねぎとろ丼、買ってきてしまったのよね。冷蔵庫に一旦しまわなきゃ。
と、重い腰をあげようとしたとき、それは聞こえてきた。
うわ、なんだっけこの曲。
普段クラシックをほとんど聞かない私でも知っている曲。それなのに、誰の何という曲なのかは全くわからない。どうやら、音楽はしばらく鳴り続けているようなので、ひとまず面倒くさいことから片付けることにした。


#ネギトロ丼2

やっとこさと、腰掛けると、目の前のネギトロ丼が艶やかに私を誘ってくる。
通知、来てるけど…
一旦未読スルーさせて頂いて、まずは一口。
「う…うまい!」
若干値が張ったが、さすが最近のコンビニクオリティー。侮れない。
連絡の返信をしつつ、先ほどのメロディに耳を傾ける。とりあえず、キーワードを並べて検索してみるか。ネット先生お願いします!
『クラシック 曲名 不思議』
自分の感性を信じて、不思議というワードも添えてみた。さあ、結果は…


#生活リズム

何曲か候補が上がってきた。
まあ、時間もあることだし、上から聴いていこう。まずはひとつ目。
〜♪
「え!?これだ!」
はい、もう正解に辿り着きました。
『チャイコフスキー くるみ割り人形 金平糖の精の踊り』
いつも机に置いてある付箋にも、控えておいた。
耳にしたことのある名前だったが、この曲とは知らなかった。
これをよなよな聴いているのか。そういえば、隣の家の人ってどんな人なのだろう。おそらく会ったことはない。それぞれの生活リズムによって、合う人とはいつも会うけど、合わない人とはほとんど会わないようにできている気がする。
クラシックを聴くような人だ。きっとダンディな人なんだろうな。

ーあの日聞こえたくるみ割り人形は、確かにネットで聞いたものと同じだった。
それでは、音楽にそれほど詳しくも、関心もない私が気付いた違いとは…


#お隣さん

貼ったことすら忘れて、ほとんど存在感も失っていた付箋を見つけ出し、動画検索をかけた。
うん、やっぱり違う。
本家を聴くまでもなかった気もするが、楽器が違う。今聴こえてきているくるみ割り人形は、おそらくギターの音で奏でられている。お隣さんが弾いているのだろうか。クラシックも、ロックも好きということでこうなったのか。とにかくお隣さんは、相当な音楽好きらしい。
それ以来、ふとしたときにお隣さんのことを考えるようになった。
性別も年齢も、職業も性格も、まるで知らない。隣に住んでいるのにも関わらず。


#ジャンク

月末にお馴染みのご褒美ご飯、今回はファストフードを買ってきた。あとは、ここから自転車に乗って帰るだけなのだが…
だめだ、絶対冷めてる。家に着く頃には、もうふにゃふにゃになってる。
しかし、あつあつカリカリで食べるための努力を惜しむつもりはない。仕事で疲れていても、こういうことへのエネルギーは自然と湧いてくる。
にしても、相変わらず匂いがすごいな。これじゃあマンション中に、私は今日ジャンクフードを食べますよーと知らしめるようなものだ。こんなにも難易度が高いものだったとは。やられた。マンション着いたら走ろう!
…なんだかご褒美にエネルギーを奪われているような気がする。いや、こんなの認めたら最後!
だって目の前には、じゅわじゅわの衣を纏ったお肉と、実に体に悪そうな匂い…(褒め言葉)
ところでこの匂い、お隣さんへ漏れてしまってはいないだろうか。いや、向こうから匂いがしたことはないから、きっと大丈夫だ。
味の濃さといい、油の感じといい、完璧!ときどき無性に食べたくなる美味しさ。
そういえば、思い出した。お隣さんから匂い、したことあるな。


#煙草

確か、ベランダに干していた洗濯物を取り込んでいたとき、少しだけ、ほんのりと煙草の匂いがしたことがある。いつもはそういった匂いはしないし、洗濯物からも煙草の匂いが染みついてきたことはない。(私が鈍感なだけかもしれないが。)
私は喫煙者ではないので、匂いで煙草の種類まではわからないが、いよいよ私の中で、お隣さんは紳士なおじさんという人物像が浮かび上がってきてしまった。
ちょっと会ってみたい気もするが、意図的に会うのは違う気もする。でも気になる。どんな人なのだろう。


#変化

例の音楽が聴こえるタイミングは、全く読むことができず、その日の運次第。もちろん私も仕事に行っている間は、家を空けているので、音楽が鳴っているか把握することはできない。
割と久しぶりに聴こえてきたくるみ割り人形は、また少し変化を遂げていた。
メロディだけをギターで奏でられていたものだったのが、伴奏?とかも付いて、ちゃんと曲っぽくなっている。無論、全部ギターの音で。
ということは、機械か何かを使って、音を重ねているのだろうか。それとも音楽仲間で一緒にやっているとか?でも、声とかはあまり聞こえないような…
機械を使っているなら、年齢層はもう少し下かな。にしても、すごい労力。
私には無いなぁ、そんだけ夢中になれるもの。


#コーヒー

はあ、今日もなんだか疲れた。パソコンと向き合っているだけで肩が凝るのに、人への気遣いで余計カチコチ。それに最近浮腫みが酷い。顔もマスクの痕が全然消えないし。マッサージでも行きたい。ドライブで森林浴にでも行ったら、リフレッシュできるかしら。
思わず、溜め息まじりに俯いた。
あ、そうだ、今日はお気に入りの靴下を履いてきていたんだ。偶然だけど。やるなぁ、今朝の私。帰りしなに、ふと見た月が綺麗だった。それは、ちょうど家の窓からもよく見える。
この前、少し背伸びをして買ったコーヒーでも飲もうかな。
虫が入るのは御免なので、網戸にして、コーヒーを飲んだ。
月が見守る夜も悪くないなぁ。
なんとなく本棚を眺めてると、ハルジオンで作った押し花のしおりを思い出した。学生時代に仲の良い友達と作ったものだ。
彼女も忙しくしてるんだろうな。また久しぶりに出掛けたいなぁ。
などと考えていると、お隣さん家から女性の笑い声が聞こえた…


#笑い声

驚いて咄嗟に網戸を開け、ベランダに出てしまった。
いやいや、プライバシーの侵害だ。いけない、いけない。
しかし、相当盛り上がっているようだ。
お隣さんって女性だったのか?それとも、娘さんとか?あとは、若い彼女、奥さんだったりして…
わからない、謎が謎を呼んでいる。勝手に一人暮らしだと思い込んでいたものだから、驚きを隠せない。よなよな音楽を流していても、家族は気にしないなんて空間、存在するのだろうか。
もしかして、単身赴任で、今日はたまたま家族が揃ったとか。あり得る。いつもはこんなに声が聞こえてくることはないもの。


#いちご

私にはもう1人、お隣さん以外に気になっている人物がいる。彼女はいつも、私がよく行くコンビニへ姿を現す。彼女を初めて認識したのは、ある出来事がきっかけだった。
ーある日、いつものように会社帰り、コンビニへ寄った。自分へのご褒美と、スイーツコーナーで物色しているとき、隣に誰かが来たのがわかった。そこから伸びた手は、一目散に商品を掴んでは、買い物カゴへ入れていく。避ける際、チラッとカゴの中が見えてしまった。すると、中はいちごのスイーツやお菓子で溢れ返っていた。思わず、2度見をしてしまったのだが、彼女はなりふり構わずレジの方へ向かっていったのだった。


#夢うつつ

今日は休みなので、午前中は溜めていた家事などをした。
一通り終えたし、午後はお昼寝タイムとでもしよう。
いつもはテレビやラジオをつけていることが多いのだが、今日はなんとなく消してみた。すると、忘れた頃に聞こえてくる、お隣さん家のくるみ割り人形。
そういえば、楽器がギターに変わったんだっけ?
うとうとと、目を閉じながら考える。夢と現実の狭間で、くるみ割り人形が流れている。なんだか様子がおかしい。ただでさえ、不思議な雰囲気の曲なのに、さらに怪しげな雰囲気まで加えられている。
はっ!っと目が覚めた。
あれは、夢…?
耳を澄ましてみると、やはり聞こえてきたくるみ割り人形は怪しげな雰囲気を醸し出している。
なんだこれ…
危ない音がする!


#ショートホープ

コンビニで見かけた、いちごのお姉さんの話にはまだ続きがある。
いちごの商品でいっぱいになったカゴを持って、レジへ向かった彼女は、まだ物足りないかのように、レジ横を眺めまわしている。おそらく、コンビニ中のいちご商品を片っ端から買い占めているようだ。
「以上でよろしいでしょうか…?」
店員が苦笑を浮かべながら伺う。すると、彼女は慣れた様子で最後の注文をした。
「あ、あと167番ください。」
えっ?あのお姉さん、煙草吸うの!?
そこに出会した誰もが思ったであろう。いちごが好きだからといって、煙草を吸わないとは限らない。ただ、あのとき不覚にもそう思ってしまったのだった。彼女は、髪が長く、服装も少しユニーク。身長は女性の平均で考えると高い方だ。確かにそんなオーラを纏った女性が、煙草を吸っていたら絵になる。


#通知

私はコーヒーが好きで、よく飲むのだが、缶コーヒーはほんとんど買うことがない。そんな私でも唯一お気に入りの缶コーヒーがある。ときどき飲みたくなるので、今日も買って飲んでいた。そんな折にだ。職場の上司が話しかけてきた。
「そのコーヒーって美味しくなくない?なんか変な味だよね。」
そんな言葉に、愛想笑いで返すことしかできなかった。また、心の削れる音。
学生時代に好きな男性のタイプの話で盛り上がり、それから連絡を取るようになった子がいる。帰りの電車で、その子からまた一方的な連絡がきた。フラれたらしい。返信なんて、今の私にそんな余裕はない。ただ、止まらない通知に気が遠のいていく。


#たからもの

せめて、明日の朝無事に家を出られるように、コンビニでいつも買っているチーズケーキと、お酒を買うことにした。
ところがおかしい。いつもあるはずのチーズケーキがどこにもない。今日に限ってない。商品名のプレートもないので、おそらく販売自体終了なのだろう。なんだか、やっと手に入れたたからものを次から次へと奪われていく感覚。
仕方ない。お酒だけでも買うか。
お酒コーナーへ行き、缶ビールを手に取ると、誰かが隣へ立ち止まった。見ると、そこにはいちごのお姉さんがいた…


#サプライズ

「あっ…」
思わず声が漏れてしまった。
「よく会いますよね。」
意外にもお姉さんは、気さくに話しかけてきた。
「あ、そのビール美味しいですよね。私も好きなんです。」
彼女はそう言うと、お酒コーナーの冷蔵庫から、レモンサワーを取り出し、私の持っていたビールと一緒に持っていってしまった。私は呆然と立ち尽くすことしかできなかった。しばらくして、我に返り、再び缶ビールを取ろうとすると、お姉さんが戻ってきて、さっきのお酒2つを差し出してきた。
「…えっ?」
いや、どゆこと???
「あげます。」
なぜだかその言葉を聞いた瞬間、無性に胸が熱くなった。とりあえず訳もわからないまま、受け取ってしまった。よく見ると確かに、バーコードのところにテープが貼られてある。
「気にしないで。そんなに深い意味はないから。」
お姉さんの言葉にはっとした。
私、そんなやつれてるように見えた?


#えくぼ

お姉さんは、笑うとえくぼができていた。
そんな今日は水曜日。後半戦もなんとか頑張ろう。そういえば、初めて見たあの日も、あの日もあの日も、お姉さんと会うのは全部水曜日だった。いつも水曜日の夕方だった。
このレモンサワー、私の好きなお酒なんだよな。どうやら私はお腹が空いていたらしい。いろいろあったせいで、今更気付いた。
家に帰ったら、お風呂に入って、ご飯食べて寝よう。お姉さんのえくぼ、クールな印象に反してかわいかったな。不思議な体験だった。あっ、今度また会えたら、お礼を言わなくちゃ。


#運命の人

「運命の人だったのに。」
フラれてしまったあの子に良い按排の返信をしようと、流し読みしていたとき、この言葉が目についた。あの子にはいったい何人、運命の人がいたのだろう。
返信に行き詰まっていると、なにやらドラムのような音が微かに聞こえてきた。
きっとお隣さん家からだろう。くるみ割り人形は終わったのだろうか。
…いや、これは間違いなくくるみ割り人形だ。バンドの曲みたいになってる。まるで別もの。すごい。お隣さんが考えたのかな。だとしたら、絶対勿体ない!こんな、音楽を知らなすぎる私が聴いただけで終わらせちゃいけない才能だ。でも本当は、私が知らないだけで、すごい人なのかもしれない。


#レモン

私だって、休日にはスーパーへ行って自炊もする。天気予報では雨だったが、もう今日のうちに行っておかないと、あとが面倒くさい。運動も兼ねて、近くのスーパーまで歩いて行くことにした。行きこそ、持ち堪えていた雨だったが、帰りにはざんざん降りとなった。それも天気雨。せめてもと、気分を上げるべく、最近知った音楽を聴きながら帰った。ネットで知ったその人の言葉が好きで、音楽もまさにそれだった。
やみそうでやまない雨。遠くでは虹が掛かっている。もうじき雨はやむのだろう。
家の前に着いて、ちょっとした水滴を払ってから、玄関のドアに手をかけた。すると、隣の家からガチャっと、ドアを開ける音がした。まさか、そのとき、予期せぬタイミングでお隣さんと顔を合わせることとなった。





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