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チョコミント

雲一つない秋晴れの空は青く、空気も澄みきっている。心地のよい風も吹いているのに、いつもこの世界から消えてしまいたい気持ちでいっぱいだった。もう生きていけない僕は、踏切の前に立って僕を轢く電車がくるのを待っていた。

人目につかないタイミングで確実にやらなければならない。失敗して病院送りになることだけはぜったいに避けたい。

カーンカーンカーンと鳴る踏切の音と心臓の鼓動が重なり緊張が高まる。

キタ!今だ!と僕は意を決して電車に飛び込んだ。

でも何かに押されて、前のめりで転んでしまった。顔を上げると目線の先にチョコミントアイスが転がっている。

背後から『死ぬのは、まだ早いのよ』と声がした。

僕が振り返るとアイスがないコーンを片手に持ち、腰に手をあてて仁王立ちした女が立っていた。透明感のある白い素肌と長いまつ毛、黒いロングヘアーに白いワンピースを着た清楚な印象の美しい人だった。僕は一瞬で女に目を奪われてしまった。

女は踏切の真ん中でしゃがみ、線路のアイスを見つめながら、少し口を尖らせている。僕は慌てて『申し訳ありません。アイスの弁償させてください。』と口を衝いた言葉のあとで、財布にはあと数百円の小銭しか残っていないことを思い出した。

女は『大丈夫だから』と断ったけれど、僕は何かお詫びをしたくて、なぜだか必死にアイスを弁償すると申し出て、女は苦笑いしながら承諾してくれた。

アイス店の前にはたくさんの人が並んでいた。最後尾に30分待ちのプラカードを持つ店員が立っている。『並んで買われたアイスだったんですね』と僕が恐縮していると、女はいかにこのお店のアイスが素晴らしいのかを熱く語りだした。ひとしきり話したあとに少しの沈黙があって、女は僕に『どうして電車に飛び込もうとしたの?』と訊ねた。

すごく流れてきには全うな質問だったけれど、僕にしてみれば、死ぬことに特別な理由があった訳じゃなかったから、少し戸惑った。

天涯孤独の身の上になってしまったこと、信頼していた人に騙されて仕事も全財産も失ったこと、事故を起こして人を死なせてしまったこと。体の一部が欠けてしまったこと、うちに来ていた猫が最近姿を見せなくなってしまったことなどを思いつくままに、見知らぬ女に話していた。

女は静かに僕の胸に手を当てた。僕はびっくりして女の顔を見ると、真っ直ぐなまなざしを向けて、今度は僕の手を取り、僕の胸に当てて言った。

『この心臓は本物よ』

女の顔は僅かに涙に濡れていた。その顔を見たら箍が外れて、鼓動と同じリズムで僕も泣いていた。何もかもが溶けるようにぐちゃぐちゃに。

そしたら『大変お待たせしましたー。ご注文をどうぞ。』と僕らがアイスを買う順番になっていた。僕はそのぐちゃぐちゃな顔のままで『チョコミントをひとつコーンでお願いします』と注文した。店員さんは少し心配そうな顔をして『これサービスね』とアイスを多めにしてコーンにのせてくれた。

僕の財布の中身はあと20円になった。

お店の向かいには公園があって、木々は少し黄色くなり始めていた。僕らはベンチにのった落ち葉を掃いながら腰をかけた。『君もどうぞ。』と女は僕の口元にアイスを差し出した。僕はもう3日間 水だけで過ごしていたから、断りきれずに一口もらった。甘さがじんわりと体にしみる。そのチョコミントアイスは美味しくて、また泣いてしまった。

『全部食べてもいいよ。』と女は言ったが『イヤイヤ』と僕は差し出してくれた女の腕を押し戻した。

アイスを食べ終わっても、僕らはこれまでの生活のことを話して過ごした。もうすぐ夕暮れというところで女は立ち上がり両手を広げて『ハグしよ。』と笑った。

僕は言われるがまま、ためらうこともなく女の腕の中に埋もれた。僕らは離れがたくなって、結局暗くなるまで人目を気にせず一緒に抱き合っていた。

僕は今ならもう死んでも構わない。悔いなんてないし、むしろ今が一番幸せだ。ずっとこうしていたい。ずっと一緒にいたい。

女は『そろそろ時間だわ』と言い、僕は『また会えるかな?』と聞くと、『たぶんあえる』と女は答えた。

僕はこの上ない幸せの絶頂の中で、僕の心臓は今まで感じたことのないくらい大きくドクンと脈打ち、僕の心臓は止まった。

女は僕を抱きしめたまま、僕の耳元で囁いた。

『わたしね死神になったのよ。君がいつも人生を全うしないから。何度も何度も転生を繰り返してランクアップして、とうとう神様になったのよ。』

僕は僕を見下ろしていた。

そうだった。僕はどんな人生でも自分で自分を殺してきたんだ。同じ場所で何度も、何度もあの恐怖を繰り返す悪夢の日々を超えて、やっと今世に転生したというのに、また同じ過ちを繰り返そうとしていたのか。

僕は女のことを知っていた。もうずっとずっと昔から知っていた。

僕らは約束していた。

忘却の彼方、僕らの行く末が常に深い闇でも

僕らはいつでも光に向かうのだと・・・。




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