友達と別れた

イマジナリーフレンド
空想上の友人。多く幼少期に発症。

もとより独り言の多いたちではありました。
それは今でもそうなのですが、あくまで相手が存在しない前提の独り言です。今日のお夕飯何にしようとか、暑いなー寒いなーお日様がまぶしいなーとか、この道が崩壊したらどうしよー、とか。

それが変わったのは2年前。浪人生だったときです。
動物ばかりだったのですが、その頻度も増え、ついに人間に手を出しました。

それから大学生になり。今では2回生です。大学生になってからはもっぱら動物にしか会わなくて、それもたまに鯨を撫でたりする程度でした。
それが先日、少し精神的によくない日があり、つい人間に手を出してしまいました。
はじめはよかったのですが、途中から、頭の声が何人にも増え、わたしを責め出したので、駄目になってしまいました。

それから今まで、彼・彼女らには会えていません。
人でなくとも、例えば空飛ぶクジラやペットのウサギなどでも、呼び出そうとするとこの間の恐怖を思い出し躊躇してしまいます。
記憶として彼らの存在を思い出すことはあれど、まるで遠い昔のことのようです。触れ合うことができません。懐かしく思い、また会えるとも思えません。あの頃こんなことがあったなあ、といったような。
というわけで、いつもわたしのなかにあり、いつでもそばにいることのできたあの子たちは、すっかりどこかに封じ込められてしまいました。
それと同時に、ひとつ変化がありました。
Twitterが要らないのです。
私が投稿していたことは彼ら彼女らとの会話やそこから得た発想が多かったからか、別段言うことも思いつかなくなりました。彼らと話していたようなことを考えるのが、取り込まれそうで怖かったのです。
また、長らくタイムラインを見ていないと、それなら見なくていいわ、どうせ見きれないもの…という気持ちにもなり…とにかく、すっかり離れてしまいました。
いまも迷っています。これでいいのかしら、って。

ベッドに寝転び、毛布をかぶります。
ついついと携帯をいじってしまうのですが、横たわっていると眠たくなります。まなざしがすべり落ちてしまいます。ぼんやりと、手元のスマートフォンの画面で照らされるマットレスを見つめていると、まっくろくろすけのような、小指の爪ほどもない、なにかちいさないきものが現れました。
かぶりをふって目をつむります。残念ながら、今のわたしは彼らが恐ろしいので。
すると今度は、向こうのかべの1メートル四方くらいに、びっしりとなにかが張り付いています。今度は一体5センチほどの。まっくろくろすけもどきでしょうか?ふわふわとした集まりは、じいとこちらを見つめています。目をそらします。目をそらすと、現れます。とんだいたちごっこです。わあと現れついてくるのは、昔のわたしなら楽しめたことでしたが、今は薄らぼんやりとした恐怖だけがありました。
これをまた楽しめるようになれば、こわくはありません。楽しめるようになることができるという自信もあります。かわいい、とほほえんで、見つめればいいのです。しかし、それではわたしはもう帰ってこられないような気がしました。なので、私は目をそらすことしかできません。
壁を見ているとやってくるので、携帯だけをじっと見つめ、文字を打っています。すると、視界の端を抑える両の腕に、ばあとくろいものがやってきました。わらわらとしていて、やはりこちらを見ています。手の甲を気に入ったのでしょうか?わたしの指はおいしいのかな。小さいこは、構って欲しいときに構ってほしい人が何かしていると視界に無理やり入ってくるので、そういうことかなと思いました。ごめんね。無視をして。でも駄目なんだ、と、なぜだかもの悲しい気持ちになりながら謝りました。わたしと彼らは友人であったので、悲しいのはしようのないことだと思いました。目の奥がつんとして、涙が出そうになりました。眉間がずきずきと痛みました。
親指の爪に乗ってきたくろすけ(仮)が、わたしに何か訴えかけてきています。なにかしら。無視をしないで、とか、指を動かすのは酔うからやめて、とか、そういったことなのかしら、と思いました。ちいさな腕をわたわたとさせ、ひとみはまっすぐこちらを見つめてきています。うーん。わからないです。わかりません。結局わかりません。わかりませんが、わたしはまた彼らと関わってしまったのはわかりました。目の前に、ひとりでこられては、そりゃあいけません。わたしのせいではないと思うのです。うーん。でも、目をそらす努力はしています。自分から呼んでもいないです。壁のこどもたちに話しかけたくなるけれど、我慢です。しかし、この文章を書き始めた時より確実に、自分が引っ張られているのを感じます。こわさは減ったし、話しかけたい。うさぎと添い寝をするのはわたしの好きなことでした。何よりこんなにも文字が出てくる。やはり、彼らとの関わりを断とうとすることは、無理やり思考を押さえ込んでいる部分があるのだなと思いました。いまならいくらでも文章が紡げるし、文字を紡ぐことは私の好きなことでした。心の健康と引き換えに、この力が戻ってくるなら、別にいいような気がしました。心も、健康でなくなるのかは、わからないし。ですが、よくない気もします。だって、友人がこんなことをつらつらと書いていては心配になりますもの。それが自分には適用されないので、たくさん言葉が湧いてきて楽しいなあ、嬉しいなあ、としかならないのですが。ただこれは精神疾患だとか、そういったことではないと思うのです。現実ではなく妄想なんだという自覚はありますから。ただ、所詮全て妄想なのだと思うととても悲しく虚しくなるので目をそらしているだけです。普通に痛い厨二病のアレだと思うのです。私には霊が見える…なんて言っちゃうような。なので、わたしは大丈夫だし、これは辞めなくてもよいことなのではないかと思うのです。だって、わたしが趣味でやっているだけなので、基本ひとりのときにしか出会いませんし。だから、いいと思うのです。別に。これで。このままで。また仲良くやりましょうよ、わたしはあなたが一等好きなの。一緒にいると落ち着くわ。大学生にもなって厨二病?治らないならいいじゃない。しようがないじゃない。治したくないなら、それでいいじゃない。オタクっぽい話しかただって、辞めればいいけれど、辞められない。だってその方が楽しいんだもの。何がよい、悪い、なんてことはないと思うのです。女の子らしい、きゃらきゃらとしたお話を。馬鹿にしているわけではありません。ただ今は、駄目だと言われること話し方が楽しく面白いので、そのままでいても、なおさなくても、別にいいじゃないですか、というだけなんです。それと同様、無理に厨二病を治さなくてもよいと思うのです。わたしは人には押し付けません。あそこにいるよ、とか、何でそうしないの?とか、そんなことは言いません。1人で楽しむだけです。なら、それなら、別に、いいと思うのです。
しかし、まだ目をそらします。駄目だと思った気持ちが、感じた恐怖が、確かに記憶に存在するので。

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