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今更、映画ハニーレモンソーダの感想(興行収入10億おめでとう!)

どうも、SnowManファンラウール担です。
記事を覗いてくださり、ありがとうございます!
本日「映画ハニーレモンソーダ」の興行収入10億突破が発表されました。おめでとうございます!
折角のタイミングなので、映画ハニーレモンソーダの魅力を記したいと思います(ラウール君中心です)

①ビジュアルの美しさ
映画ハニーレモンソーダは、「光」に徹底的に配慮された作品です。明るくてポップな音楽は流れているものの、終始ノスタルジックな光に包まれています(彩度を落として、黄味を多めに撮ると、ノスタルジックになるらしい)
ここで、ラウール君演じる界君は、肌が綺麗!華奢!手足が長い!
でも、特筆すべきは、瞳の美しさでした。瞳が澄んでいて睫毛が恐ろしく長いので、少し目線を逸らしただけで、映像として成り立つ。
白っぽい金髪も功を奏し、少女漫画のイケメンというよりは、美しい神秘的な存在でした。(「溺れるナイフ」の菅田将暉を思い出した)

そして、このノスタルジックな光と、界君の美しいビジュアルが、上手く作用し合っていたように思います。華奢な身体と、何でも吸収してしまいそうな大きな瞳に宿る界君の少年性は、ノスタルジックな光によって、それが「大人になれば失われる」「刹那的」であることを、やんわりと示唆されているようでした。でも、永続性がないことを痛感するほど、一瞬一瞬が大切に、輝いて見える。映画ハニーレモンソーダの界君には、そういう「儚さ」を伴う美しさがありました。

②「未熟さ」と「青春」
漫画の界君と映画の界君では、脚本の時点でキャラクター像が明らかに異なります。
漫画の界君は大人びていて、恐らく女子高生が思う理想的な男の子。一方の映画の界君は、イケメンでヒーロー気質ではありますが、子どもっぽくて情緒不安定(ハウルみ) 
元々界君は「羽花に心配させたくない」という配慮で家族の話をしなかったはずですが、映画の界君は「羽花が離れてしまうから」という自己保身的理由で家族の話が出来ず、羽花を避けようとします。残念イケメン!(ハウルみ)

ここで、界君を演じるラウール君の演技はどうか?勿論アイドルなので魅せ方は上手い。けれど、演技の完成度としては、他の俳優陣に比べると、やはり拙い印象でした。
でも、その「未熟感」こそが、この映画の魅力だと思います。

界君の外見は神々しく、美しさとしては完成度が高い。黙っていると、選ばれた人間にしか似合わない「孤高」という言葉がぴったり合います。
しかし動き出すと、キャラクター像も自分勝手で幼いし、声もキザに聴こえて「未熟感」が強い。見た目がパーフェクトな分、その未熟さが痛々しいほど浮き彫りになる

でもそれが「青春」っぽいんです。

感受性が高くて、小さなことでもすぐ悩んでしまう。ナチュラルでいる方がかっこいいのに、かっこつけてしまう。その「未熟な青さ」が、まさしく青春なのです。

「ハニレモでプルプル」という言葉を、若い女子高生はきっと「胸きゅん!」の意味で使っていたでしょう。でも、青春時代に背を向けた大人の私にとっては、「ハニレモでプルプル」とは、青くて痛々しい青春そのものを、美しい映像で矢継ぎ早に浴びせられ、恥ずかしさで身悶えした心の動きでした。

でもその悶えるような感覚が、すごく癖になりました。映画館に3回も行ったのに、結局DVDも購入し、見返してしまいます。心の振れ幅がゆるやかな曲線を描くような多くの映画と違い、ハニレモは終始心がプルプルさせられる(「#ハニレモでプルプル」というハッシュタグを考えたラウール君は天才だと思います)

<まとめ>
ラウール君の持つ神々しく「完璧」な見た目が、界君の内面的「幼さ」や彼自身の演技の「未熟さ」を寧ろ強調していた。
ただ「未熟」で「痛々しい」のが青春であり、大人になった我々には、身悶えるようなまぶしい光として感じられる。甘酸っぱいというよりは、青春そのものを突きつけてくる魅力的な映画だった。

まとまらないし、長々とすみません!
映画ハニーレモンソーダは「ラウールあの時は幼かったな」と、ファンが5年後に泣きながら見るタイプの映画になると思います。

キャストやスタッフの方々、素敵な映画をありがとうございました!





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