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柳田國男の「先祖の話」から考える

柳田國男の『先祖の話』を読んでいる。
読んでるうちに考えることが多くなり、どこかの誰かの参考になればと思い書くことにする。ほぼエッセイ。

前提として先祖という言葉には2種類の意味がある。
①権力者など特定の人物を指すもの
②自分達が祀らなければこの世に存在しえない人々を指すもの

柳田國男 『先祖の話』より

  この記事は②の方を主に話している。

今はもう空き家になってしまったが、地方にある祖父母の家にはそこそこ大きな仏壇があった。
夏休みに遊びに行くと、祖母は夕飯時に毎回「仏壇にお米をお供えして、手を合わせなさい」と言っていた。当時の私にとってはお手伝いの一環のようなもので、特に深く考えてはいなかった。
家ごとに差はあると思うが、私の家は父方も母方も「ご先祖」という言葉をよく使う。何かいいことがあったら「ご先祖様に感謝」とか、「今私たちが何不自由なく暮らせているのは、ご先祖様のおかげなんだよ」とか。(※怪しい宗教とかでは全くない)取れて嬉しかった資格の証明書とか、貰った賞状、お年玉なんかも一旦仏壇に飾られる。祀るなんて仰々しいものではなく、ただただそこへ持っていくまでが家族への報告の完結になっているのである。それだけ身近にいるのに見えも話もできない「先祖」という人々を、柳田の本を通して少し考えてみた。↓

目次
1「ご先祖さま」とは何か?
2 生まれ変わり

1「ご先祖さま」とは何か?
父も母も私もそれぞれ曽祖父、あっても高祖父(曽祖父の父)ぐらいしか面識はない。でもご先祖様のおかげ、という言葉で感謝をむけているのは、それより前の、名前も顔も知らない、会ったこともない人たちである。柳田の本の中には、「死んでから33年経つとその人は先祖になる(先祖の1人になる、の意)」と考える各地の風習の記載が多かったため、そこに焦点を当てて考えてみる。
家族の誰かが亡くなって1年以内に起こる年中行事の変化といえばお盆とお正月である。前者は「⚪︎⚪︎さんの初盆」になり、後者は無くなってしまう(喪に服すため)。亡くなったことに対して気持ちを整理する期間を設けたい、死の穢れをハレの日に持ち込むわけにはいかないから、など理由は様々に考察できる。
多くの家の場合、正月に関しては普段と違い、故人を悼む色が濃くなるのは一年だけだろう。しかしお盆は違うのではないか。初盆とは言われなくなっても、故人を思い出す人がいる限りお盆は彼らのものになる。そして「先祖」という概念的な括りにはならず、「〇〇(故人)も帰ってきてるかな」と、あくまでいなくなっただけ、その人の魂を個別で認識するような程で話される。
そう考えると、
〈先祖の話〉「死んでから33年経つとその人は先祖になる(それまでは個別)」
〈現在(私の家)の考え〉「お盆で個別に思い出される間は先祖という括りにされていない」
と考えることができ、両者の間に大きな考えのブレはないのかなと思う。

この2つを踏まえてみると先祖とは、「残された人が個別に送る祈りを受け止める義務を終えた人々」のことだ。
だから同じ時代を生きる家族であっても先祖とみなす人々は異なる。私から見る「会ったことの無いひいおばあちゃん」は私にとって先祖だが、私の母にとっての「亡くなったおばあちゃん(生きている時を知っている)」は母にとっての先祖ではない。
故人に対する供養は、残された人の悲しみが癒えるまでの思いの器であったり、彼らを気にかけている、と自分に言い聞かせる儀式のような役割を果たしている面がある。お盆が来た時に、私はひいおばあちゃんを思い浮かべることはないけれど、母はきっと思い出す。時間の流れの中ですれ違う人を気にかけ、名前をつけようとした結果「先祖」という言葉が生まれたとも考えられる。

ではなぜ33年なのだろう。完全に予想でしかないが、これは江戸時代、徳川綱吉あたりの頃に遡ると思う。
綱吉が出した法令の一つに服忌令がある。「近親者が死んだときなどに穢れが生じたとして、服喪日数や穢れがなくなるまで自宅謹慎している忌引の日数を定めた」(服忌令 より引用)もので、これをきっかけに死に対する穢れや供養という概念が一般庶民にまで浸透した。
そして一回目の服忌令(1684年)〜江戸末期(1860年代)の日本人の平均寿命をは30〜37歳程度。(参考 社会実情データ図録)これは亡くなった人が先祖になるまでの期間である33年と非常に近い。
単に故人を覚えている人が死なずにいるのがそれくらいの時間だったと考えるのが腑には落ちるが、書ききれないもっと入り組んだ理由がありそうだなとも思う。

2 生まれ変わり
先祖と生まれ変わりというのは相容れない考えに思える。というか一方は死んでから留まり続け、もう一方はぐるぐると世界を巡っているわけだから矛盾している。
しかし本の中に、生まれ変わりに関する記述に興味深いものがあった。
「愛児を失った親や祖父母が、どこへ生まれてくるかを知りたいと思って腕や手のひらに字を書いておくと、それが今度の児に必ず顕れて、前の児の墓の土でこすらぬと落ちない」

この言い伝えを噛み砕いてみると、
①新たに生まれてきた赤子は生まれたての時点で先祖(過去生)との繋がりがあるけれど、
②「消えないあざ(前の愛児という過去との繋がり)を清算した(その児を思い出して墓まで行く)」=「前の愛児に対する供養をした」なら、まっさらな赤子に戻る
となり、この2つの要素で先祖と生まれ変わりという相反するものを両立させている。

漠然とだが、こういうことはもしかしたら願掛けをされずとも全ての人々に当てはまっているものなのかな〜と思った。よく分からないけど無性に好きな場所や風景、暮らしのなかで感じるデジャヴとか、無意識の記憶の遺伝が関係してたら面白怖い。信憑性のある前世の記憶を持つ人がいるなら会ってみたい気もする。


ここまでちょこっと書いてきたが、そもそも死んだ人や死んだ後のことなんて自分が生きている間にしか考えられないし、考えるだけ不毛な気もする。それでも、私の前からいなくなった人たちがなんらかの形で、縛られることなくまたどこかですれ違うことが出来たらいいなと思う。



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