見出し画像

パパゲーノ

突然ですが、下記の3つの作品は、連作でもシリーズでもない(と思う)んだけど、
わたしの中ではNHK激重三部作というか、心にズンッと巨大岩石を置いていったシリーズで、時間のたった今も、3つまとめてぷすぷすと、しぶとくくすぶり続けている。
これらのドラマを視聴して、それなりに決着する思いがあったので、
まとまりは悪いかもしれないけれども、ボツボツと書いてみることにした。


そのNHK激重ドラマは、『星とレモンの部屋』『ひきこもり先生』『ももさんと7人のパパゲーノ』だ。

それぞれのテーマをざっくり一言で言えば、ひきこもり、不登校、希死念慮、ということでいいと思うんだけど。いずれも我が家の懸念事項だ。

下の子ユキが異変を来してからというものの、
問題を解決したい、なんとか修復したい、と思ってずっと抗ってきた。
だからこの手のドラマは、娯楽というよりも参考文献ならぬ参考映像であり、ビデオ学習的な感覚で追ってきた。

NHKなので安易なハッピーエンドじゃない。
手加減なしで、めちゃめちゃ重い。
他人事じゃないからなおさら重い。
登場人物の姿がユキそのものに見える瞬間が何度もやってくる。
思考とか行動、発する言葉、重なる部分が多くて。
リアルなんて言葉じゃ軽い。
なんでうちの子のことをテレビの人が知ってるの?と思うほどで。

視聴が辛いんだけど、このような問題に光を当てていただいて、内から外へ取り出していただいて、表現していただいて感謝しております。
映像で描写されたものを、画面を通して見ることの意味とか意義は大きくて。

ユキや自分の姿を客観視できることが一つ。
わたし、こんな風に追い詰めていたのだろうか?とか。
ユキはこのような心情だったのだろうか?とか。
「この親きつーい」と思った裏で、「あ、わたしもか?」とふりかえることができたりして、なんていうか、客観視は自省をうむ。

もう一つは、大変なできごとがあるたびに、連携して対処してきた夫と、同時に同じものを見ることができて、共通理解っていうのか、知識とか事例を共有できることがプラスになっていて。
わたしはいろいろな文献を読むけれど、夫は情報を取りに行くタイプではないので、いろんなことの認識に差異ができてしまうことが時々ある。
映像は、おのおのが本や資料を読み込んだりしなくても、隣に並んで座り、せーの!で見るだけで、ズバンッと入ってくるのでありがたい。
題材を与えられて、それについて互いの感想や考えを述べあうなど、ケーススタディとして大いに役立つ。

まだあった。
ユキの思考はぶっ飛んで理解できないことがままある。
えーそこからそっちー??みたいな飛躍に驚き呆れ、情けなくなることもよくある。
登場人物も作品中でぶっ飛んでいる、ようにわたしには見える。
でも、画面上で描かれていると、この人もか、こういうパターンの人もいるんだな、という落としどころにたどりつける。わからないなりに、だけど。
「こういう人もいる」は、最終手段としてとても助けになる。

そうこうして、ユキのことも「あぁ~もう全然わからないけど、根っからそうなんだね~」と諦めがついたっていうのか。不本意ながら認めざるを得ないっていうか。

なんとかして元に戻さねば、軌道に乗せなければ、とそればかり願っていたけれど、
わたしが戻そうと思う「元」が、ユキには不自然で無理して取り繕っていたものだったとしたら、余計なお世話なのかもしれないし、って。
なんだかようやく、観念して変わってきました。

否定も強制も示唆も・・・なにもせず、「そうなのね〜」と思うにとどめる。そんな境地に至りつつある。今は。


『ももさんと7人のパパゲーノ』で描かれる希死念慮に関しては、前の2つのテーマとは違って「そうなのね~」の境地にはなかなかたどり着けなくて、ラスボスっていうか、承服しがたいものだったんだけど。

最初は落ち着けばなくなるような一時的なものだと思ったし、そういう念は消え去ってほしいと思ったし、なんとかして止めねば、なくさねば、と普通の感覚でダメ、ゼッタイと否定していた。

そういう「念」は根絶すべき、というか、あちら側というか、あるべきではないことで、それをずっと心に持ち続ける人がいるなんて、ましてやそれが我が子だなんて、と普通に悲観していた。

数年前、ユキにそれがあると知ってから、いろいろ変化もあり山あり谷ありの歳月が過ぎ、
どんな状況、状態であっても、周りからそんな風に見えなくても、ユキ自身の言動から生への強い気持ちや執着が窺えたとしても、ずっと生と逆のベクトルが、常に働いている人なのかな、と思うように。

そしてドラマ中の伊藤沙莉演じるももさんを見て、あぁやっぱり、それはいつもそこにあるモノなのだな、そういう人っているんだな、と思い知らされた。

普通に見えるのに。
みんなと同じに見えるのに。
誰にだって起こりうることだけど、どうしてもだめなんだねーっていう。

また、
抱いてしまう念を、普通の感覚を持つ人から当たり前に否定されることの辛さとか、説かれる言葉の違和感とか、「そうじゃない感」が丁寧に描かれていて。
一般的な大多数の価値観を押しつけられ諭されることは、もはや苦痛なんだな、周りの者はただ止めたいだけなんだけど、それも重荷になっちゃうんだな~と。

このような作品が世に出て、そういう人も一定数存在するということも知られ、受け入れる土壌が育つと少しは楽になるのかな。
そういう気持ちを抱いていることを打ち明けたとしても、愛だの正論だので頭ごなしにダメなものとせず、ただ「そうなんだ〜」と受け入れてくれる人が増えれば、すこーしは生きづらさが減るのかな。
ももさんが友達に「生きて!」と願ったような気持ちを、ユキ自身が他者に対して感じる未来があるのかもしれない。そこでまた新たな感情を知る機会があるかもしれないな。

どれも推測の域を出ないからわからないんだけど。
何が正しくて間違っているのかもわからないんだけど。

わたしは勝手に願ったり、希望を抱いたりする。
それはわたしの自由なんだけれど、わたしの内にだけとどめておいて。
ユキに対してはなにも判断せず決めつけず、押し付けず、なにかを強いることもなく、ただフラットに受けとるのが現時点ではベストなのかなぁ、というところにたどりつく。

「なにも足さない、なにも引かない」
某パンメーカーのCMのキャッチフレーズをお借りしたい気分。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?