筆を折る日

っていうのはいつ来るんだろうと考えてた。あー、また打ちにくいSurfaceから入力してるから機嫌が悪いです(?)

創作をしているほとんどの人が、一度や二度ならず何度も何度も考えたことがあるのではないかと思うんだけど、
いつか創作をやめる日がくるんじゃないかなって。少なくともわたしには来るんだけど。
それっていつなのかなって少しだけ考えてた。

よくあるのは、挫折してとか、時間が無くなってとかだと思うんだけど、前者は確かに筆を折っているけど後者は違う。ただ過去から現在まで「書いていない」という状況が続いているだけで、英語にするならI haven't written for a long time.とか?現在完了形なんだよね。 
創作を辞める、というのは、確かな意思があってこそ成り立つものだと…
それを思うと、わたしは何度か現在完了形の状態に陥ったことがあって、その理由は時間が無いだとか、書くのが嫌になっただとかだけど、「もうやめよう」と思ったことがない。かもしれない。「もうやめた方が良い」とか「やめたい」ならある。

で、思うのは、「もうやめよう」っていつになったら思うのかなって。
一番大きな理由は「読み手がいなくなったから」かな。あとは誹謗中傷なり何なりで「心が折れたから」とか?
どっちもあり得る、何なら前者は割と近い未来で起きそう。w
あとは「もう書きたいものが無くなったから」とか…今のところこれは無さそう。今は。
今書きたいものは何個かある。し、たぶんそれを全部書ききってもまた何かが湧き出てくる。それはいつまでも自カプが好きだからなんだけど、そこに読み手がいなければ「書きたい」という意思にはならないだろうから、やっぱり読む人がいないというのは大きいよね。人がいるから歌を歌うのだ…って『Piecies』でも言ってた…(蘆原日名子先生の)
わたしはもう読んでくれる誰かは、自分以外のこの世の一人でも良いっておもってるから、「感想がもらえない」とか「反応がない」とかで大きく振り回されたくないな~。何かもうここは究極かもしれない…

今までに書いたどんな作品も、自分にとっては日記みたいなものなんだなあと最近思った。
積極的に読み返しはしないけど、消しもしない。だけど書くことと、書いたということと、その積み重ねが糧になっているような、日記ってそういうものじゃない?
でもさ、ネットの海じゃいつかはサ終で消えちゃうだろうから、きっといつか自分のためだけに本にすると思う。それを欲しいと思ってくれる奇特な人がいればその人に差し上げるけど、本当に自分のためだけに作ろうと思う。
そしたらきっと、筆を折るんじゃないかな。ちょっと前向きに。

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