気づかせてくれたのは批判だった(シノヅカヨーコ)
ライターとしてコラムなどを寄稿すると、批判を受ける機会が少なからずある。
批判の内容もさまざまで、記事の内容に対する批判から、なかにはわたしの人格そのものを否定するようなものまで出てきたりして、どれもとても興味深い。
記事に批判がつくことは、それだけ読んでもらえたということ。
なかには「タイトルや見出しだけを見て中身を読んでいないな…」というものもあるけれど、これもまたひとつの目安になる。
読みにくかったかしら。次はもっと文字数をもっと減らしてみようかしら。
試行錯誤のキッカケをくれるのは、いつも批判的な意見だったりする。
先日寄稿した記事にいただいた批判に、
「この女は学歴も社会経験もないに違いない。自分のことしか考えていない」
というものがあった。
まさにそのとおり。わたしは思わず膝を打った。
わたしの学歴は高校卒で、専門学校を中退してすぐに働きはじめた。
なんでもやりたがる性格が功を奏したのか、さいわい職に困った事はない。しかし、「応募資格:大卒以上」の企業にチャレンジできずに歯がゆい思いをしたことは少なくない。
「あー馬鹿大でもいいからどっか出ておきゃよかったなぁ」と、軽く学歴コンプレックスをこじらせているフシはある。
学歴は、そりゃあないよりもあったほうがいいに決まっているのだ。
社会経験がないというのもその通りで、16ではじめたアルバイトを含めても、社会経験は10年にも満たない。
現在28歳。出産と育児で3年ほどのブランクがあるので、やっぱりどう見積もっても社会経験はそう多くはない。
年齢で見れば年相応ではあると思うんだけれどね。出産は平均よりも早かったけれど、社会に出るのも早かったしさ。
自分のことしか考えていない。これもまさに。
わたしは基本的に自己中心的な人間で、自分とその周りの人間がしあわせであることがなによりだ。
しかし自分がしあわせであるのには、自分と関わるひとたちだってしあわせでなければならないし、自分の家族や友人がしあわせであるには、その家族や友人だってしあわせでいてほしい。
自分のしあわせを追求するということは、他人のしあわせを考えることでもあるのではないかと思うんだけれど、みなさんは、違うのかしら。
この批判は、これから先「どんなことを伝えるライターでありたいか」を考えるひとつのキッカケになった。
わたしには学歴も専門性もない。
ひとりの主婦で、母親で、特にこれといったステータスもない。
社会経験も年齢相応程度しかない。
しかし、そんなごく一般的な庶民の目線だからこそ、伝えられることもあるはずで。
自己中心的な考えを持っているので、自分の意見を主張することは割と得意分野だ。
わたしは自分の考えを人に晒していくことで、誰かに何かを考えてもらうキッカケを生むような記事を書いていきたい。
批判は反論であり、反論は意見。
自分の記事に、何か引っかかるものを感じて、考えてもらうキッカケになったのならば、それほどライター冥利に尽きることはない。
気づかせてくれたのは、批判だった。
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