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高齢母とのふたり暮し⑦

姉妹なのに理解できない事ばかり


いつもお立ち寄りいただき、ありがとうございます。
身内の恥ずかしい話の続きです。

昨年2月に母が大腸癌手術で入院していた時。
母が居なくても日常の生活そのままにして急遽入院してしまった為、やることが色々あり私は茨城と埼玉を行ったり来たりしていました。

私達は、母の手術が成功したので、回復して退院した後の事を考えなければなりませんでした。
退院前にはケアマネジャーさんとの相談がありました。

①超高齢なので、麻酔の影響で発症したせん妄が戻らずに歩けない可能性も大きいので、とりあえずはリハビリの施設を探した方が良い。

②なんとか回復したとしても、92歳なので要介護認定になると予想される為、それなりの施設を探した方が良い。

自宅に戻れるのは、良い方に考えたとしても施設でリハビリをした後になるでょう。
もしくは、ずっと施設に居ることになるかもしれません。
というケアマネジャーさんのご経験からのお見立てでした。

わたしは、個人的にはケアマネジャーさんのお見てプラス
そのまま病院から自宅(茨城)に戻る可能性もゼロではなく、どちらかといえば施設には抵抗があったので自宅に戻る選択肢もありだと考えていました。

施設に入るなら、まだ住民票が姉のところにあったので姉が施設に通う、という前提で夫婦で探していましたが、お高過ぎて無理!という結果になりました。
世帯年収が高いので、介護の補助金もそう多くは出ません。お金持ちなんですよね。
更に、
母の施設代として1円たりとも自分達の懐からは出したくない!と言う夫婦の堅い意思が明るみに出ました。

すんごいケチです☠️

私達側は、それぞれ独立している娘二人共が夫達の理解を得て、ばあばの為ならお金を出しても良いよ、と言ってくれていました。

結局、
姉夫婦が無理なので、私達家族で面倒をみるということになり埼玉方面で施設を探しました。
目ぼしい施設を見つけましたが、私はまだそのまま家に帰れるという希望を持っていました。
だって… 
せん妄はあっても元気そうだったのですよね。塗り絵も上出来でしたし。

コロナ禍でお見舞いは不可、と言う事でしたが、
なぜかナースセンターの受付けまでは行けて、
ナースセンターの中で無心に塗り絵をさせられている母の姿を眺める事はできました。
不思議…


そして事件は起こりました。
埼玉と茨城を往復する中、ある日茨城の家に着いて蛇口をひらくと、水がでません。
大家さんに連絡すると、
「お姉さんのご依頼で元栓を締めました。」と言うではありませんか。

えーー! 
どうして勝手にー??!! 
なんなの??

大家さんに電話で指示していただき、開栓したあと、姉に文句の電話を入れました。

「もう施設に入るんだから、その家、解約するからね。あんたが埼玉に居るっていうから水道止めてもらったよ。」
と、ほざく姉…

はぁ? 
借りてるのは私達なんだけど?
まだ施設に入るって決まった訳じゃないし、荷物だってそのままあるから!

「そんなこと言ったって、わたしが保証人なんだからなんでも出来るんだよ。」
と言い放ちました。

もう訳がわかりません。
保証人の意味も理解していない姉です。
姉が保証人になったのは、茨城の家を自分の思い通りにしたかったからなのでしょう。

このときばかりは、長年溜りに溜まった姉のストレスでかなりの暴言をはきました。
 
まだどうなるかわからないのに住居を解約するって、正気の沙汰には思えませんでした。

もしかして、痴呆でも発症したの?
とも思える理不尽な振る舞いでした。

母は、周りの予想に反し、私の薄い希望通りに入院前と同じくらい元気になって退院することが出来ました。
そして、元の生活に戻りました。

どうよ! 姉!
母を舐めちゃいけないよね〜。
たったの、要支援1判定だったのです。


そして、一難去ってまた一難…
今度は胃癌ステージ4であることが判明。

92歳にはかなり辛い検査を終え、1週間後。
検査結果が出て、先生と治療方針を決定する段階になりました。
一応、姉も立ち会ってもらわないとと思い(娘だし)一緒に相談してくれるように話しました。
病院は都内から1時間半程の距離です。

姉の第一声は、
面倒臭いのでしょう…
「抗がん剤の飲み薬を服用することに決めたんでしょう?
その相談にわたしも必要?」
でした。

またまた性根が垣間見えた瞬間でした。

この人、なんなんだろう…
やっぱり縁を切りたくなる気持ちがいっそう強くなりました。

姉よ。
もう周りの事はイイから、我が道を突っ走って下さい。








 


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