「好きです」という言葉と、チョコレートを貰うよりも。
ハッピーバレンタイン。
私は今、師匠(注1)に渡したはずのチョコレートが何故か手元に残っているので、それを食べながらこの記事を書いている。"チョコアイス"という名前にしたばかりに、今日この日に何か書かねばという、強迫観念に襲われているのかもしれない。
2月14日、バレンタインデー。
最近は、義理チョコや自分チョコという類のチョコレートも登場し、カカオ豆も「こんなはずでは……」とひっくり返るようなイベントに変貌を遂げたが、そもそもバレンタインデーとは、キリスト教圏、主に欧米で、カップルが愛を祝う日だそうだ。
この日キリスト教圏では、恋人や家族など、大切な人に贈り物をすることが習わしとなっているが、我が国日本では、好きな人に「好きです」という言葉と共に、チョコレートを渡すことが定番となっている。
「好きです。」「愛しています。」
BTSのメンバーは、常にファンにそのような言葉を投げかけてくれて、私たちの心をドロドロに溶かしている。
でも我が師匠(注1)キムソクジンは、少し違う。なぜなら、"ジンくんの真意は、言葉にはないことが多い"。そう感じるからだ。
「ARMYサランヘ〜」
大抵そう言うときのジンくんの言葉は、味噌汁の上澄みみたいなものに過ぎない。
味はしないし、なんか薄い。(退場)
いや、誤解しないでいただきたい。私は、その味がしない薄さを感じる言葉が、とても好きなのだ。正確には、発した言葉そのものではなく、言葉の背景から読み取れる思考やプロセスが好きだし、安心する、ということだ。
うん、とても美味しい上澄みだ。マシッタ。
味がしない言葉を、「お世話になっております。」と、ビジネス定型文のように投げることができる、その身軽さと正直さ。もしかしたらそれが、「ジンくんは、ファンとの間に一線を引いてくれている」と言われる要因の一つになっているのかもしれない。
私は言葉というものを、あまり信じることができないという、少し…いや、結構厄介な思考をしている。
というのも、自分自身が基本、言葉を発する動機に感情を含められないからだ。
例えば、仕事で目上の人に理不尽なことで怒られたとする。もちろんそのときは腹が立つ。これから先、一生赤信号に引っかかってしまえ!と思う。アメリカンコーヒーを注文したら、一生ブレンドコーヒーが提供されてしまえ!と思う。
でもその直後、誰かにそのことを話すときには、なぜか笑いながら話している。「ほんと腹立ったわ〜、笑」のように。
まさに、笑いながら怒る人だ。いや竹中直人じゃねえのよ。
悲しい出来事の場合も同じだ。大抵笑いながら話す。見る人によっては、強がってあえて笑顔で話している、と思われるかもしれない。でも違うのだ。強がっているわけでも、怒りや悲しみを隠そうとしているわけでもない。
ただ、言葉にしている時点ではもう、そのときの感情は他人事になってしまっているのだ。「ほんと腹立ったわ〜、笑」の「腹立った」の感情も、そのときには消えているし、過去のことになっている。
(勘違いしないでいただきたいのは、決して感情が無いわけではない。時差がある、ということだ。急に一週間後に一人で泣いていたり、怒っていたりすることがある。)
つまり私にとって言葉は、"感情を共有するためのツール"ではなく、"状況説明"+"パフォーマンス"であり、その場を楽しくやり過ごす、一種の手段であることが多い。
言い換えれば、"真に受けてもらっては困ることがある"ということ。"基本会話は、上澄みで成り立ってる"。それが前提だからだ。
(えっと…暴走してますがついて来れて…ないですよねすみません分かってます引き続き暴走します)
そして私は、勝手にジンくんにもその雰囲気を感じているし、そこがとても好きだ。
彼は、何かを感じているとき、言葉にしないことが多いように見える。その代わりに、そのとき感じた感情は、声のトーンや、目線の移し方、時には涙となって現れる。
ARMYから「Young Forever」のサプライズをされたときもそうだった。目に涙を浮かべながら、言葉を発することなく、愛の光に溢れた会場をゆっくりと見回して、こみ上げてくるものを噛み締めていた。
ジンくんは、本当に大切なことは、言葉にしないのかもしれない。
だからこそ私は、ジンくんのことをすごく信じられるのかもしれない。
「言葉にした時点で、なんか嘘になる気がするんだよね」
私が10年推していたもう一人の推し、兼、師匠(注1)二宮和也が、そう言っていたことを思い出した。この言葉に出会った当時中学生の私は、「まさにこれや!」と、雷に撃たれたような衝撃が走ったことを覚えている。
「言葉で表してくれないと、本物の感情が伝わらない」そう思う場合も、もちろんあるだろう。そっちのほうが伝わるという人も、もちろんいる。でも私は、「言葉で表されないものにこそ、本物の感情が宿っている」、そんな気がするのだ。
「お誕生日おめでとう」という言葉をもらうよりも、机の上に、私の好きなチーズケーキが置いてある方が何倍も嬉しいし、「好き」という言葉をもらうよりも、「夕飯食べたのかな、」と、ふと自分のことを思い出してくれている瞬間があった方が、何倍も嬉しい。
ジンくんはもしかしたら、そんな人なのかもしれない。
ありえない話はやめてください。
そろそろ師匠(注1)に渡したはずのチョコレートを食べ終わる頃なので、この辺で失礼致します。
(注1)世間で言う"推し"のこと。私にとっては人生の師匠である。
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