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表現者とアイドルってさ、



アーティストや表現者とアイドルって、真逆の存在なのではないかと、最近思っている。




アイドルは人気商売だ。好感度で飯を食う仕事だ。

そのため、世の中の規範やモラルを、普通に働くサラリーマンよりも守らなければならない。

たまにアイドルに人権はないのかと議論になるが、アイドルに人権はないというのが、チョコアイスの見解である。

人間である前に、アイドルでなければならない。

顧客のニーズをくみ取って、それに合わせた楽曲を製作したり、発言をしたり、行動をしたりすることが必須だ。

好感度で飯を食うとは、そういうことである。




一方で、アーティストや表現者はどうだろう。

私は、世の中の規範やモラルをぶった斬り、価値観をぶち壊し、世界を切り開いていく役割を持つ人のことだと思う。


社会で生きていくうえではできないようなことを、創作活動に反映させ、人々の本能に衝撃を食らわせる。

ここに利益やマーケティング的要素は、あってはならないと考える。




これをBTSに当てはめてみよう。

7人はアイドルだろうか、それとも、表現者だろうか。白黒つけられないとしても、どちらの要素が強いだろうか。


これは非常に難しいが、メンバーそれぞれで比率は変わりそうだ。


ナムジュン、ユンギ、テヒョン(敬称略)あたりは特に、表現者としての役割をもつ人たちだと思う。

顧客のニーズに合わせた楽曲を作ることで、自分のなかにある表現欲や創作欲が無くなり、すっからかんになってしまう。これは根っからのアーティスト・表現者タイプだと思われる。



逆にソクジンとジミンは、アイドル要素が強いと思う。

もしかするとソクジンは、いい子症候群が外れると表現者タイプに行く可能性を秘めているが、今のところアイドルタイプだろう。


ジミンは根っからのアイドル気質のような気がする。求めてくれる人がいて、自分が注目される場があって、初めて輝くタイプだ。



ホビとジョングクは、ちょうど中間な気がしている。

二人の場合、自分の中で対話して向き合うことが一番のモチベーションになっていそうなので、そうなると表現者タイプであるが、

表現者タイプの3人のように、自分が創作したものの意味を、周りに理解してもらいたいという欲があまりないように見える。

自分が満足できるレベルまで持っていけたら完了という、自己完結的要素を感じるため、おそらく職人に近いタイプなのだろう。



そしてグループ全体で見てみると、BTSはかなりアーティスト・表現者要素の強いグループだと感じる。


アーティスト要素が爆発しているキムナムジュンの思想を中心としてつくられたグループのため、当たり前だと言われればそうなのだが、

BTSのメンバーからは、「表現者としての自分たちを認めてほしい」という雰囲気を感じるのだ。


一方でファンはどうだろうか。

一つの仮説として、ファンは"表現者やアーティストとしてのBTS"よりも、"アイドルとしてのBTS"を求めている比率が高いのではないと感じる。

"ファンを大切に思ってくれるBTS"が好きなファンはとても多い。


7人がバンタン会食にて、ソロ活動開始宣言をしたときにざわついたのも、テヒョンさんの熱愛報道で現在大炎上しているのも、

おそらくファンが思うアイドルとしてのモラルや規範から逸れた行動だったために、起きた現象である。

「好感度で飯を食っているのなら、ファンの喜ぶ行動をするのは当然である」という理論は、確かに人気商売なら成り立つものだ。


そうなると、ファンが求めるものと、メンバーが求めているものとのズレは、かなり大きいということになる。

そして現在のこの違和感やズレが、ピンチのなかのチャンスとなるのではないかと感じている。

元々ヒップホップグループとしてデビューしたという珍しい歴史は、人気商売というビジネスの側面では大成功をおさめた。

その一方で、アーティストや表現者としての側面で見ると、成功したと言えるかどうかはわからない。


そして今BTSは、アーティスト・表現者的要素の部分を拡大させていこうとしているように見える。ソロ活動もその一環であろう。

ただ、メンバーもそのジレンマとかなり戦っている。

10年目に、貴方達は僕達が離れていくという…...それが歌手とファンというものなのか。

ファンは歌手が離れていくか怖れ、歌手もファンが離れていくのを怖れて。僕は10年間、この考えから抜け出せない僕がすごく嫌で。
Wライブにてキムナムジュンの発言の一部を抜粋


どちらかを選ぶのであれば、どちらかを犠牲にしなければならない。

それはこの世の真理であり、また、それがいかに難しいかは、未だにトロッコ問題(注1)に決着が付いていないことをみると明らかだ。

しかし何かを犠牲にした先には、新たな世界が開けているのかもしれないという、そんな希望も見えるのだ。


私は幸いなことに、多くのものを犠牲にして、自分のためだけに突っ走る7人を見てみたい派なので、ちょっとワクワクしている。

それが必ずしも、ダンスや歌ではなくて良いと思っている。


ベッドの上で思考だけがぐるぐるしているだけの日曜日の夜。そんなことを思う、チョコアイスなのであった。


(注1)「ある人を助けるために他の人を犠牲にするのは許されるか?」という形で功利主義と義務論の対立を扱った倫理学上の問題・課題。

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