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それはまるでサタンのような教師のお話

父の転勤で中学3年生になりたての春、とある地方都市からお隣の地方都市に引っ越しをしました。

それまでも決して良い環境ではなかったものの、その後待ち受ける一年間は想像を絶する慣習や風土に思春期の心を滅多打ちにされた期間となります。

転校先の担任がエホバの証人を迫害することで超有名な先生だったのです。

とても傲慢で自慢話と恫喝三昧の、女性教師。
校長先生より権力をふるって職員室の空気も一瞬で変えてしまう人でした。

あの、人を見下した、恐ろしい目つきを思い出すと今でもぞっとします。

本来なら滅茶苦茶ヤンキータイプの生徒も、内申書書いてやらないぞっていつも脅すから反抗できずに大人しくしていたくらいです。
ヤンキー達が卒業式の日にどうやって仕返ししてやろうかと相談したり妄想膨らませた会話をしていたのが今では懐かしい笑い話です(結局誰も何もできませんでしたが)

貢ぎ物をしたりゴマをすらない保護者は気に食わないリスト入りになってしまう。
尚且つエホバの証人大嫌いですから、我が家も当然餌食となりました。

クラスにおいて常識、慣習だった、「時々先生の所へ行ってゴマをするご機嫌をとる」という行動が必要だと知らなかった私は、ある日呼び出され
『おまえは先生の所へあまり来ないが先生の事が嫌いなのか?』と雷に撃たれるような台詞を浴びたのです。

(好きな訳ねーだろが)

という本音はさておき、上手く返す言葉も見つからぬ14歳はびくついたまま、ココではそうしなくちゃいけないのだと知り、卒業までの残りの期間をどう乗り越えたら良いものか絶望気分に陥っていました。

そして、『転校生が来るというからウチのクラスに入れてやったのに…』と吐き捨てるように言い放ったのです。
ましてやエホバの証人ときたものだ、貧乏くじでも引いた気持ちだったのでしょう。

私はいやいやこちらは望んでいないし今からでも他のクラスに移りますよ、な気分です。

ストレス過多だったのかこの頃は過敏性腸症候群になって、授業中お腹を壊ししょっちゅうトイレに駆け込む生活でした。
時代もあって洋式便座がない古い学校だったから、なかなか辛かった。

そんな時期に唯一救いとなってくれたのが保健のS先生でした。

担任が転校先のクラスで虐められていたMちゃんと私をくっつけるように仕向けていたのですが、Mちゃんはちょっと内気なだけで何ら虐められて良い訳も理由などもなく心優しい子なのに、虐められてしまうのが悔しくて許せなくて彼女と一緒に保健室で泣いていました。

そんな姿を見て、友達のために涙を流せるというのは素晴らしいことで、あなたの人生に必ずプラスになると言ってくれた保健室のS先生。

担任が鬼のような人格破綻者だったから、あの頃なんとか生き延びられたのはその優しいS先生のおかげだったと思います。
私から特に詳しく話したりしなくても、背景を察してくれていました。

学校に行くのは苦痛だったけれど、何かにつけ母親に怒られるだけだから家にも絶対居たくない。そんなジレンマを抱えていた中学3年生。

その後、S先生の旦那様が高校の担任になったのはまた別のお話。

迫害教師にまつわる話はまだまだあるので元気な時にまた書けたらいいな。

ここまで読んでくれてありがとうございます。



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