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子どもの頃、わたしの部屋は"押入れ"だった


子どもの頃、わたしの家は2Kの狭い借家だった。

大学で寮に入るまでの18年間、5つ上の兄、母、父の4人で暮らした。
6畳2部屋の狭い家に4人で生活するのは、とても窮屈だった。


友達と電話をするときは外に出て、着替えもトイレでしていた。プライバシーなどない。
唯一ひとりになれる場所、それは"押入れ"だった。



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わたしは両親と仲が悪かった。
両親が理想とする子どもになれなかったからだ。

3歳からスポーツをはじめ、小学生になってから全国上位の強豪チームに入ったが、これといった成績を残すことができなかった。
両親は、チームメイトより上の成績が残せる子どもになってほしかったのだ。

自分としては頑張っているつもりだったが、どうしても能力差はでてしまう。
全国大会に出ることができても、チームメイトが優勝している横でわたしは1回戦負け。

チームの中のカーストでは、勿論下位にいた。
それゆえ、いじめにあったりもした。
でも両親は
「あんたが弱いからいじめられるんだ」
といって、助けてくれることはなかった。

保護者たちのなかでもカーストはあったようで、同じように下位にいた両親は、わたしにとにかくプレッシャーをかけた。

狭い家のなかで、
「なんであの子はあんなにだめな子なんだ」
という話を毎晩のようにする両親。

耳を塞いで寝ても2Kの部屋では、全てが聞こえてきてしまう。

せめて、両親の声が聞こえない自分の部屋があれば。

いつもそう思っていた。


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兄が中学生になったころ、夜に試験勉強をする部屋が必要になった。

そこで、わたしが押入れで寝ることになった。

はじめてできた自分だけの空間。
押入れにいると、両親の愚痴が聞こえてこなかった。

押入れに好きなキャラクターの絵を貼ったり、
かわいいライトを持ち込んだり。
こっそり漫画を読んだり。

はじめてできた自分の居場所"押入れ"が大好きだった。

友人からは"ドラえもん"と馬鹿にされたが、
押入れだけが唯一心休まる場所だったのだ。


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大人になったいま、有難いことに一軒家に住むことができている。
3人のむすめたちには、大きくなったらそれぞれ鍵のかかる部屋を設けてあげることができる。

1人ひと部屋でなくても良いし、カーテンで仕切るちょっとした空間でも良いので、
"子どものプライバシーを守る環境"を作る努力が必要だとわたしは思う。

同時に、リビングにみんなでいても子どもたちが居心地よく過ごせる環境を作ってあげたい。

むすめたちは、学校から帰ると子ども部屋にこもってテレビやゲームを楽しんでいるが、心が休まるならそれで良い。

たまにリビングにきて、
「おかあさん、あのね…」
と学校のはなしをしてくれるだけで充分だ。


物理的なこと以外に、心理的な距離感も同じく大切だ。
自分のお腹にいた子どもといえど、別の人格。
踏み込んで良いこと、悪いことの線引きが必要である。

聞いて欲しいことはとことん聞くし、
聞かないでほしいことは、背中を見守ってあげられる親でありたい。

むすめたちが思春期に入ったときは、この距離感が難しくて頭を抱えるだろう。

どこに線をひくか、どうやってコミュニケーションをとるか、トライアンドエラーを繰り返しながらひとつずつ向き合っていきたい。




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