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🎨美術・芸術・美術館・建物・オブジェ

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#絵画

日本の色とは?

昔の人はどんな色を使っていたのでしょうか? いろいろな絵をみていると、絵に施されている「色」について興味が出てきました。 昔、ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂のミケランジェロの傑作『最後の審判』を改修していく作業をテレビで見たことがあります。 本物の海綿で、少しずつホコリを取り除いてく地道な作業でした。 その気の遠くなるような作業の後に現れた絵は、それまでに出版されたどの図版にも無い鮮やかな色彩の絵画でした。 ボッティチェリの名作「プリマヴェーラ(春)」では、黒ずんだ緑の草

LA GUIRLANDE :: フランス アールヌーボーを代表する装飾雑誌

世紀末、フランスで起こった新芸術様式・アールヌーボーは、日用品や家具の装飾、絵画、彫刻、建築、文字フォントに至るまで多くの事象に影響を与えました。 自然・・草花や昆虫などをモチーフに、シンメトリー(左右対称)ではないデフォルメを行い、あらゆる事象に現されていきました。 この時代にLA GUIRANDE(ラ・ギルランデ)というアールヌーボーを代表するモード雑誌が発行されました。総発行部数は、たった800部。日本ではほぼ知られておりません。 ミッシャは、アールヌーボーを代表す

¥300

三岸好太郎筆彩素描集『蝶と貝殻』:: OldArtArchive

1934年に出された三岸好太郎の画集です。限定100部の出版物です。 一応、著作権の問題があるので北海道の三岸好太郎美術館に電話で問い合わせしたところ問題無いとの回答。 以下で全ての作品の閲覧と画集のPDFファイルが出来ます。

¥300

🇦🇹🎨: アートか落書きか ウィーン・ドナウ運河にて

ウィーンの中心を流れるドナウ川は、正確にはドナウ運河である。 この運河の両岸側壁にはものすごい落書きがある。 両岸それぞれ、恐らく1Km位は落書きで埋め尽くされている。 落書き、と言ってもそのクオリティが極めて高い"作品"もあり、一概に「落書き」として片づけられないようなものがある。 キータンは半日かけてほぼ全ての落書きを撮影した。その一部を紹介したい。 何処でも隙間無くペイントされている。 個別に目を引いた"作品"を以下に紹介したい。 このような撮影を続けていたら

🎨📄: 武者小路実篤

東京都調布市に武者小路実篤の邸宅があった。 今は調布市「武者小路実篤記念館」となっている。 まだ、記念館となる遙か前、初めて実篤先生にお会いしたのは中学3年の時であった。 一見、校倉造りを思わせる家屋の玄関を入るとすぐ目の前にピカソの油彩画が飾られていた。一番西側に位置した広い応接室には光輪のある大きな円空仏が目立っていた。 応接室に通された時、先生は背筋をピンとして色紙を書いていた。 そして先客が居た。どこぞの土建屋の社長がもみ手をしながら色紙が仕上がるのを待って

🇪🇸🎨:ラス・メニーナス : ピカソ美術館・バルセロナ

バルセロナのピカソ美術館 ピカソの描いた、『ラス・メニーナス』である。 『ラス・メニーナス』は、1656年にベラスケスが描いた油彩画である。 (※ベラスケス"Las Meninas":1656年プラド美術館所蔵/上記絵画写真はwikiより引用) ピカソは、17世紀の宮廷画家ベラスケスの作品"Las Meninas"から影響をうけた。 ベラスケスの空間と光の処理をピカソ自身のものに置き換えて新たな作品を創造した。ピカソのベラスケスに対するサプライズであるとともに

🎨📝:レンブラント ファウスト 魔術 錬金術

エッチングというものを始めたのはレンブラントであるといわれている。 ヨーロッパの代表的な美術館を歩いていると必ず1枚はレンブラントがある。多くの作品の中でひときわ輝いている。 時々撮影でもレンブラントの手法を使うときがある。レンブラントライトといわれるが、例えば暗雲立ちこめる雲の切れ目から光が差してくる。希望の光だ。ブラマンクもよく使う。その光の先には天使がいるのだろう・・たぶん。 明日に向かって撃ての最後のシーン。 銃口並ぶ中、ブッチとサンダンスは銃を構えて外へ飛び

🎨📝:関合正明

絵は、港区三田の宝生院にある。写真を撮らせてもらった。 関合さんの絵ではたぶん一番大きいサイズだろう。100号以上あるのかもしれない。 涅槃図であるが彼の作品でこんな明るい絵をみるのは初めてだった。 いつも焦げ茶や黒を基調とした絵ばかりしか描かないのかと思っていた。 まだキータンがはなたらしの中学生だったとき、関合さんに 「フランス、いってみたいなぁ。ステキなとこでしょ?」と言った。 関合さんは、四角い大きな顔を近づけ、しかめっ面をしながらいった。 「なぁ、キータン

🎨:ミロの展覧会カタログ: 直筆サイン入り

1958年、ベルグラン画廊の企画展の為につくられたカタログです。 木版画で、全32ページ。フランスで発行。限定130部。出版元:Berggruen & Cie ポール・アリュアールの詩 "A toute epreuve" にささげたデザインとされる。

🎨📝:画家 瀧川太郎の心

瀧川太郎は洋画家で石井柏亭に師事し後にパリに渡って絵画を学んだ。 パリにおいては画家であると同時に、画商としても手広くビジネスを展開していた。パリで買い付けた絵画を日本の画商等に販売していた。 1962年神奈川県で開催された西洋美術展でルノアールの作品『少女』が盗まれた。後に発見されるが、このルノアールの作品が瀧川太郎の描いた贋作である事が発表される。画商として何百点かの瀧川製贋作名画が日本国内に流通したことで大問題となり、1969年瀧川太郎みずからが芸術新潮の取材インタビ