常に変化し続けること

どれだったか子育ての本で、子供に話しかける時は今の子供のレベルより一歩上の話し方をしましょう、と読んだ。

単語が出る子には2語文くらい、2語文を喋る子には3語文、3歳児には4歳児ぐらいのつもりで、と。
なるほど、初めから対大人と全く同じように話しては難しすぎるし、完全に子供に合わせちゃうと成長への刺激にならないということか。次はどんな風に言葉を使えばいいのか、真似する対象がないし成長したいという欲も刺激されなさそう。

話は逸れるけど常にできないことがたくさんあって、自分を取り囲む親や年上の友達や先生は自分よりできることがたくさんあって、たくさん失敗するし言いたいことがなかなか伝わらなかったりするのに決してくさらない子供ってすごいなと思う。いや、毎度毎度すねたり泣いたりはするけど、だからといって「どーせ、私なんて」みたいにはならない。成長への欲求を持ち続けられるってすごい。それが子供の根源的な欲求なんだろう。

で、タイトルに戻るとそういう欲求に突き動かされて日々成長する子供は、毎日少しずつ変わっていく。使える言葉がどんどん増える、興味の対象が移り変わっていく、運動能力が上がっていく、手先が次第に器用になる。1ヶ月前と今とでは同じ作業でも手伝いが必要なポイントが少し変わるだろうし、ちょうどいい話し方も変わっていると思う。変化する子供に合わせてこちらも変化していかないといけない。

これが自然にできるひともいるだろうし、苦手なひともいるだろうと思う。だいたい大人ってのは「変化を嫌う」とか言われるし確かに私は年をとって安定を求めがちになったなと思うし。
そんなわけで『1歳との向き合い方』なんて読み物を読んで「なるほどこう接すればいいのか」と思っても少し経つと相手はもうこの間の1歳じゃなくなっているのだ。

じゃあどうすればいいかと言われると困っちゃうのだけど、「成長を予習して楽しみにする」ってのが私の対応策かなあ。「こういうものに興味を持つ時期です」「イヤイヤ期はこういう欲求の表れです」とか大体の目安ってよく書かれている。でも我が子がそれにぴったり当てはまるわけじゃないから、予習したために楽しみが削がれることはない。早い遅いもあると思うけど「そろそろあの時期が来たのかな?こんな接し方がいいのかな?」と思いつつ、言語の伸びが大きい子だな、とか妙に花が好きだな、とか体動かすのが好きなんだな(高いところに登るのは困る・・・)とか子供の個性が表れていくのを感じて喜んだり面白がったりする。

ほんと、親も子供と一緒に成長していくんだなあと思う。なんていうか、人間的成長だけじゃなくて、子供の成長度合いに応じてこちらの振る舞いも変化していくという意味でも。

あと、変わってはいけない部分もあると思っていて、それは子供を尊重する気持ちとか、その場しのぎの嘘をつかないこととか、子供の要望になるべく応えることとか、質問にちゃんと応えることとか。
そういえば、親にうまい嘘つかれたなー、あれはうまいことやられたな、と思ったことがあるのでまた機会があれば書きます。

2語文を操るようになった息子と話しながら「3語文ってSOV?SVC?SSVは?」などと考えているちょびでした。

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