2018/3/16 時々は花を買って
人ごとだと、思えなかった。
https://www.huffingtonpost.jp/2018/02/27/yasuhikosakura3_a_23372477/
身近な人の死に触れたとき、「花を買うこと」「ごはんを食べること」はわたしにとっても印象深い行為だった。綺麗な花が朽ちていくのを見れば「いのち」を感じずにはいられなかったし、「ごはんを食べる」ことができる人間は、なんて生きているんだろう、とそれだけで涙が出そうだった。
だからわたしは誰かを思って花を選び、少しのあいだ花と生きてみてもいいと思った。笑って好きな人とごはんを食べるべきだと思った。
ごはんを食べないと、ひとはモノみたいになっていく。ごはんを食べられるのは奇跡のようなことなんだ。ひとは毎日ごはんを食べる。ただ、それと同じくらいの自然さで「死」が近くにある。
綺麗な花もやがて枯れて土に還る。それを繰り返し目にすることでいのちを理解しようとしていたのか、小さな輪廻を体験している気分だったのか、今となってはわからない。
大切なひとがいなくなっても。世界があまりにこれまでと変わらなすぎて、自分だけ取り残されてしまったような感覚。世界があまりにも変わってしまって、まるで新しく生まれ変わったかのような錯覚。
不思議だけど、どちらもほんとうだ。
いろんなことを思うけれど、その人が亡くなる前の世界には絶対に戻れない。それはまぎれもない事実。
そんな世界で生きていかなくてはいけないのだ。だから、わたしは時々花を買って、ごはんを食べて、トイレ行って、寝て、起きて、息を吸って吐いて、そうして死を希釈しながら生きていく。
うれちい