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【池袋暴走事故】収監決定にて思ったこと -加害者のナラティブ-

突然だけど、今日は気になっていた日本のお話。

池袋暴走事故で禁錮刑が確定した飯塚幸三氏が収監され、遺族がコメントを発表した


このニュース、被害者の父であり夫である松永さんが積極的に状況を発信しており、飯塚氏が自分の過失を認めないこともあり、またすぐに逮捕されなかったなど、”上級国民”として扱われた(かどうかには賛否あるが)ことから世間の注目を集めた。
僕は日本にいなかったこともありあまり世論には詳しくないが、松永さんの記者会見はいつも心打たれるものがあり、Youtubeで良く見ていた。

飯塚氏は最後まで自分は正しくブレーキを踏んでいたので、車の問題だとして、過失を認めなかったものの、判決は禁錮5年という、過失運転致死では重いものであった (過失運転致死傷罪の法定刑の上限は7年)。

判決後、控訴しないことを決めて、先日収監される際に「提出された証拠および判決文を読み、暴走は私の勘違いによる過失でブレーキとアクセルを間違えた結果だったのだと理解し、控訴はしないことにいたしました。」というコメントを残し過失を認めた。

状況から自分の過失は明らかだったのになぜずっと認めなかったのか。そして記者会見でずっと「罪を認めて謝罪してほしい」と言い続けてきた遺族を見て、仕事上、たくさん見てきた戦争犯罪の被害者と加害者の姿とかぶった。

「ナラティブ」という言葉がある。日本語に訳すと物語とか話術とかだけど、ストーリーと違って、語り手が作る世界の話という意味あいが強い。飯塚氏は過失を認めたくないから嘘をつき続けたのではなく、自分の中でナラティブを作り上げ、それが事実だと思い込んでいたのではないだろうか。思い込みとも少し違って、多分脳の中でまちがった記憶が作られたのかと思う。もちろん裁判を長引かせて最終的に収監を逃れる戦略の可能性もあるが、それにしてもあそこまで強硬に主張する必要もないと思う。他に長引かせる戦略もあるはず。

そのナラティブを一つずつ剝がしていく作業が必要で、松永さんの記者会見では繰り返しその点を訴えかけ、世論を巻き込んでいった。裁判の判決には世論は影響ないと思うが(そうあるべき)、最終的にそのナラティブを剥がしたのは遺族のたゆまない努力の成果だったと思う。飯塚氏は記者会見などもチェックしていたというから、効果はあったと思う。

戦争犯罪のような明らかに加害者に非がある場合でもこういったナラティブを作り出し無罪を主張する者も多い。被害者は声を上げるにも非力で外部の力がないとあげることもできない。泣き寝入りがほとんどだ。でも中には声を上げて戦う人もいる。彼らのナラティブを聞いていると腹が立つことが多いけれど、そのナラティブを聞いて、それを立証または反証していくプロセスが裁判であるので、これができるということはとても需要だと思う。

判決が出たとしてもそれで家族が帰ってきたり、心の傷が消えるわけではない。結局のところ罪を認めることがせめてもの救いになるのかもしれない。

松永さんは

「彼が収監されても、世の中から事故が無くなる訳ではありません。個人を攻撃し続けるのではなく、無関心でもなく、「どうすればこの様な交通事故が起きないか」を社会の皆様と考えていきたいです。」

と語った。遺族の言葉としてなかなか言えることではない。本当に素敵な考えだと思う。飯塚氏も時間はかかったが、最終的に自分のナラティブを覆し、過失を認めた。90歳の年齢で5年間の禁錮は簡単ではないと思うが、刑を全うしてほしい。刑務所の役割は罰を実行するだけではなく、更生して世に送り返すことだと思うので、自分を見つめなおす機会になって、出所してくれればいいなと勝手に思っている。


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