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期待よりも感謝、指示よりも承認。

人と言葉を交わすタイミングについて、「事前」と「事後」に分けて考えてみたい。私は、事後の言葉のほうを大事にしたいと思っています。


人は「事前」に空想しすぎる

私たちは「事前」にいろいろなことを考えてしまいます。これは、人間の脳が持つ空想のチカラ。

これが生存に有利に働くこともあるけど、いろんなことを事前に空想しすぎてしまえば、それは私たちに不安や妄想を引き起こしたり、あらぬ期待を抱かせたりする。

そのような空想は当然、世の中や自分だけでなく、他人にも向かう。

空想はポジティブな方向性の場合も、その逆にネガティブな場合もある。それぞれ、どういうことが起きるかを考えてみます。


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ポジティブな空想=「期待」

他人に対するポジティブな空想は「期待」を伝える言葉になる。でも、期待は相手にとってはプレッシャーになったり、期待が裏切られたときには失望に反転することもある。

だとしたら、事前の期待よりも、事後の感謝や感動を言葉にしたほうがいい。

期待してはダメだ、というわけじゃない。期待するのは勝手だし、期待の元になる空想は脳が無意識に生み出すもので抵抗できないかもしれない。

でも、それを言葉にするのを控えることはできるはず。そうすれば、不要なプレッシャーは避けられるし、必要以上に失望することもない。


ネガティブな空想=「指示」

他人が主体的にやるべきことをやってくれる、やるべきでないことをやらないでいてくれる、というポジティブな空想は「期待」になるけど、その逆のネガティブな空想は「指示」の言葉になる。

指示しないとやるべきことをやらなかったり、やるべきでないことをやってしまったりするかもしれないから。

でも、指示は他人の能動性を奪ったり、人間関係に上下を意識させてしまう。そして指示はルールとして固定化していく場合もある。

だとしたら、事前の「指示」よりも事後の「承認」を言葉にしたほうがいい。

指示する代わりに、望ましい行動を承認する。それによって、能動性がかえって高まるし、上下関係も生まれない。そして、ルールの代わりに文化が生まれていく。


事前よりも事後の言葉を大切にする

人との関係性は「事前」よりも「事後」の言葉によって深まったり広がったりするんじゃないかなと思います。

空想を向けるべきは、他人ではなく、世の中や自分自身。逆に、他人には空想ではなく事実に基づいた言葉を交わしたいなあと思っています。

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