潜在意識を使うと、望むことばかり起きる世界になるという誤解
晴れ晴れとした気持ちになったモネ展を見た1週間ほど前、こんなことがあったんです。
去年、今の仕事をやめて新しい仕事をしたいなぁ、
という気持ちが膨らんで、
チャレンジしたものの、
ことごとくだめで。
あれ?
わたし、こんなはずじゃなくきていたのに。
あれ?
なんか違う。なんか乗れていない感覚がある。
でも、どうにもできない、袋小路にいるような感覚になった。
月の半分は、子供の急な呼出により働けないという物理的な問題にぶつかり、
解決策を探してもみつけられず。
出口を探すけど、まだまだトンネルから出られないような感覚があって、
やりたい、動き出したい私と、
その足を止めてしまう現象がありました。
自分と向き合うと。
わたし、自分もまだまだやれるよ!という感覚が欲しいんだ。
自信をもてなくなったのではなくて、
子供たちの発言や行動や現象に揺れに揺れに揺れて、
親になる、子供という命を育てることへのプレッシャーに押しつぶされそうになったり、
自分を認めたり許すことより、責めることの方が増えてしまった。
自分に集中して、自分の力を発揮してみること、自分の中の達成感みたいなもの、発揮できる課題を与える必要を感じた。
子供をもちながらも、自分の人生を望むように歩いて行きたい、
そのスタートにたったものの、
何が思考の現象化で、
何がヒントで、
何がお試しなのか、
受け取ることができないほど、
嵐のような毎日が続いて。
荒れ狂うような大海原で、
必死だった。
ブレて、ブレて、
ブレが戻せなくなってる。
と思って、
自分に目標を立ててあげよう。
と、自己完結できることでチャレンジすることにしました。
70代になっても働いていたいな、
という思いがあって、
またお金を生み出したいな、
というおもいもあって、
本屋に行ってパッと目についたもの、
手にとって問題を実際見て、解いてみて、
あ、自分が思ったよりハードルは高すぎるわけではない?チャレンジできるのでは?
というものを選んだ。(40代のチャレンジ)
今年の自由になるほとんどの時間を費やした。
合格通知が届いた。
と書きたかった。
けど、
届かなかった。
試験日数日前に、子供が発熱したり、夫が体調を崩したり、
不安になるたびに、
それでも、私は受けます。受かります。
と決め直し。
試験中も不安がよぎるたび、決め直し。
結果を知るのが怖くて、
ダメだったときのことを受け入れるのが怖くて、
自己採点すらできずにいた。
本気でやったから、怖いんですよね。
全力でやったから、怖い。
ただひたすら怖さを抱きしめて、自分の声にうなづいている時間だった。
結果は結果だけど、
全力でチャレンジできた自分をどこか誇らしくもあるし、去年より自分の力が内側からわいているのを感じる。
去年の自分より、自分のブレを戻せるようになった。
自分の中にある舵を、すこし握り直せた気がする。
いろんなことがある。
望まないこともある。
どんなに努力しても、やれるだけやりきったぞ!
と思えても、
やれるだけやったとしても、
こういう結果になることもある。
こんなことがあっても、
かならず、この出来事も、
望みが叶う世界につながってるから。
少し休んだり、整える時間をすごしても、行動するという、手や足を動かすことはとめない。
(どのタイミングで、思いもよらないどこかの扉が開くことだってあるから)
偽ポジティブにしないために、
涙が出るなら、流しておくし、
泣いてるこころは受け止めて受け止めて。
頑張った自分を労って労って。
本気でやったからこそ悔しい自分をそうだねそうだねって、
こんな結果なんておかしいと思う自分に共感して。
また、笑って前を向いていようって、
自然に心が戻るまで、
顔ヨガして口角をあげて、
下をむきそうになるときは、
自分の心を満たす言霊を使って進んでみてるんです。
潜在意識を使えば、望むことばかりが起きる世界と勘違いされやすいのですが、
望むことも望まないこともある世界にすんでいるのは変わりなくて、それがあったとしても、
望む目的地、望んだ世界にはつくんだよ、ということと、(諦めなければ叶うんだよ!という話ではなくて、望む目的地の途中にはいろいろあるよ!なのです)
わたしもみなさんと同じように、望む望まないこと両方が起きる世界にいながら、
この方法をそのときそのときの状況に合わせながら使っている、
という等身大の姿を伝えたくて、記事にすることにしました。
伝わる方に伝わるといいなと思います♫