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「さらば、愛の言葉よ」

これは好きな映画だった。
おもしろい、と単純に言える作品ではない。
ゴダールというと「映画史」は観たが、あとはつまみ食い程度で、よく知らない。
そういうわけで、ファンというほどではないのだろう。ただ「映画史」は好きだ。理解できるわけではないのだけど、ゴダールの映像は心地よい。

モンタージュ風というのだろうか。
いくつかのシチュエーション、いくつかの撮影方法、そういったものが切り貼りされて、いったり来たりする。たとえば同じ部屋で男女が会話するシーンが、途中で切られて、いくつかの映像を挟んで、また戻ってくる。そういう繰り返しが作品を織り上げていく。断片を羅列しているようでいて、観ているうちに物語らしきものが見えてくるのは、ゴダールのセンスなのだろう。

男女の会話は芝居がかっていて、本当のセリフなのか、芝居をしているのかわからない。こういうセリフまわしや、途切れる映像が、たびたび意識を現実に戻し、冷静になる。こういうのは異化効果というのだろうか。
そこに、意味があるのかないのかわからない言葉がさしはさまれる。

哲学的、ではないと思う。
素人が「哲学的だね」というとき、それは自分には理解できないということを示す。それは哲学ではなくて、思考停止なのだ。哲学を学んでいない人間がどうして「哲学的だね」なんて言えるのか。

観ていて感じたのは、go proなどで撮影した粗い画像が、本作にはとてもマッチしているということ。つまり、大切なのは、作品にとってベストな撮影方法を選ぶ必要があるということ。
それは表現方法すべてに言えることでもある。高価な機材をそろえれば、いい映画が作れるわけではない。映画だけじゃなくて、鉛筆一本でもちゃんとしたアートはできるということだ。もちろんそれは、高度な頭脳が必要なのだが。

つまり、「必要なのは、お金じゃなくてセンスです」というコピーは、ある意味本質を言い当てているのだ。あの雑誌に出ているものは、お金がなくては買えないが。

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