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おもしろくなりたい(#磨け感情解像度)

先生に指名されたときの珍回答から、センスの光るたとえツッコミまで。教室には「笑われる人」もいれば「笑わせる人」もいて、私はその全員を妬み、羨んでいた。



小学校の六年間も、中学校の三年間も、高校の三年間も、ただひたすら勉強に打ち込む日々だった。何か思い描く将来像があったわけではない。テストで高得点を取れば、みんながちやほやしてくれる。動機はたったそれだけのことだった。

「このクラスで一番良い点数を取ったのは、古越さんです」

解答用紙の隅っこを三角形に折りたたみ、点数を隠すクラスメイトたち。それを横目に、私は堂々と折り目のない解答用紙を机に置く。点数を見に集まってくる友人。「すごい」「頭良い」「さすがだね」――次々と浴びせられる称賛に酔いしれる。

称賛によって得られる快楽、まるで自分が世界の中心に立ったかのような錯覚。まるで麻薬だった。

当時は勉強する意味など考えたこともないし、勉強が楽しいなんて思ったこともない。ただその麻薬を摂取したいがために、苦行に身を投じつづけた。がんばればわかりやすく結果が出る。教科書に書かれている文章、先生が言った言葉を覚えるだけで、手に余るほどの承認を得られる。

なんて手軽な快楽だろうか。クセになった。しかし、快楽に浸れば浸るほど、なぜか空虚も積み重なった。


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ところで私は、罰ゲームのたぐいにもノリノリになってしまいがちな人間である。

ファミレスのドリンクバーにあるすべての飲み物を混ぜこぜにして、ジャンケンに負けた人がそれを飲む。教室に迷い込んでしまった大きな蛾を、ジャンケンに負けた人が追い出さなければならない。

そういうときはいつも、「負けたいな」と思っていた。

マズイ飲み物を飲んでリアクションする。蛾を素手で掴んで英雄になる。そしてそこにはきっと、「笑い」が生まれる。


「笑い」の中心にいるクラスメイトが、ずっと憧れだった。

頭が良いと讃えられるようになった私は、いわば「一目置かれるポジション」に立たされた。それは何を引き起こすか?――「笑いからの引き剥がし」だ。勉強によって得られる麻薬の副作用、とでも言おうか。

たとえば、「古越さんはイジっちゃいけない人」と勝手に思われる。「悪ノリに巻き込んじゃいけない」と気を遣われる。たとえジャンケンに負けたとしても、周囲がいろいろと手を尽くして、私を罰ゲームから逃してしまう。

「古越さんにやらせるのはかわいそうじゃん」

みんな教室というスタジオでバラエティを作っているのに、私だけがそれを画面越しに鑑賞させられている。罰ゲームでひどい目に遭いたかった。派手に目立ちたかった。気を遣われ、距離を取られ、寂しかった。


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中学二年生の冬、三年生の先輩たちから生徒会を引き継いだ二月。私は音楽に関わる活動をおこなう「文化委員会」の委員長になった。

新生徒会の初陣となるイベントは「卒業生を送る会」だ。卒業する先輩たちへの贈り物として、私たち二年生はバンド演奏による合唱を発表することになった。

いろいろな経緯があり、私は学年主任の先生から「二年生が発表の準備をしているあいだの前説」と「タンバリン片手に盛り上げる指揮者」の役を仰せつかった。

笑いから引き剥がされてきた私だ。こんな役目、全然「キャラ」じゃない。

二年生のみでおこなわれたリハーサルなんて地獄も地獄。前説もタンバリンも、純度100%の嘲笑に晒された。その後笑ったヤツら全員まとめて説教されたけど。「古越さんは盛り上げるために全力でやっているんだぞ」――フォローしてくれたところで、結局地獄なんよ。ギャグを真面目に解説されるさまほど恥ずかしいものもない。


だが、妙に吹っ切れた。

勉強で武装することで称賛を集め、愉悦に浸ってきた。逆に言えば、武装しつづけなければキャラを守れなかった。成績によってしか教室の中心に立てない目立ちたがり屋が成績を失ったら、本当に何も失くなってしまう。だから、失敗できない。そうやってひとり勝手にプレッシャーを膨らませていた。

そんなとき、空から降ってきた「全然キャラじゃない役目」。体の奥底から「チャンスだ」と声がした。これがあれば、「失敗して情けない私」も赦される。自ら笑いを抱きしめにいける。

前説もタンバリンも本来、その出し物でだけの役目。でも、私はそれを自ら「キャラ」にした。文化委員長の肩書とセットにして、「伝説のタンバリン奏者」を名乗り始めた。


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春、新入生が入学すると、文化委員会には「新入生に校歌を覚えてもらう」というミッションが課せられる。放送委員に頼んで給食の時間に校歌を流すだけでいいのだが、私はわざわざ放送室に出向き、前説をしてから校歌を流すことにした。

「はい、どうも~~~!おなじみ文化委員長の古越で~~~す!え?全然おなじみじゃないって?だったら今日覚えて帰ってくださいね~~~」

この前説を真横で聞く放送委員は、いつも無表情。給食の時間を削りながらの活動だったから、給食を食べる時間がいつもわずかしかなかった。

楽しいイベントのときは必ずタンバリンを持って登壇した。だが、新入生歓迎会では記憶が消し飛ぶぐらいスベった。

それでも、やめようとは思わなかった。たとえ心身を削られても、スベり倒しても。笑いを求める瞬間にだけ、「肉体に血が巡っている実感」がハッキリと形をもった。「必死で背伸びする私」ではなく、「むき出しの私」として存在できていた。


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忘れられないステージがある。

文化委員長としても伝説のタンバリン奏者としても最後のイベントだった文化祭。「文化祭に向けてそれぞれの委員会がどんな活動をしてきたか?」それを発表するだけの数分間。

これが盛り上がった。

観衆の拍手と声援と、ちょっとしたボケやモノマネに対するツッコミと、そして笑い声と。体育館のステージ上、スポットライトの中、全身で表現して、全身で受け取ったすべて。

正直、記憶が美化されている可能性は大きいし、そもそも、文化祭自体がもつ高いテンションに助けられた結果でしかないと思う。でも、それでも。「卒業生を送る会」や「新入生歓迎会」とは比べ物にならない熱気が起きたのは確かで。


良い成績をとって得られる称賛は、自分のためのものでしかない。「私はみんなより優れている」と他者を見下すことで気持ち良くなっていただけなのだ。そんな孤独で脆い快楽じゃ、満たされるわけがない。

対して、どうすればウケるか?何をすればおもしろがってもらえるか?それらには正解がないし、明確な採点基準もない。それでもその答えを追い求めるとき、私は「このステージを観る人たち」の心の動きを考えなければならない。

あの瞬間の私は、ひとりでも多くの人に笑ってほしいと思っていた。あの日の私は、自分が愉悦に浸るためじゃなくて、文化祭を楽しんでもらうため――つまり「他者のため」に行動していた。


自分のためだけにがんばるのではなくて、他者にポジティブな影響を及ぼすために行動すること。本当に渇望していたのは、これだ。


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「おもしろい」と言ってもらえるのが一番嬉しいんだ、今も昔も。

ツッコミよりボケでありたい。負け顔も晒したい。メタ視点に立って守りを固めるよりも、熱く情けなくカッコ悪く存在していたい。そうしたら、あなたが笑ってくれる気がするから。


そんな思いの始まりは、あの日の体育館のステージに。今この瞬間もスポットライトを浴びながら、堂々として輝いている。





こちらの私設賞に参加させていただきました。


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良いんですか?ではありがたく頂戴いたします。