十二 迷路 

「オプシディオ、翔平を眠らせろ」
 ブロジュは呆然と立ち尽くしていた癒し手に言った。バージが突き付けた切っ先は喉に食い込み、微動も出来ない。ここで眠らされたらなにもかも終わりだ。どうする、翔平……。
「軟禁もやむを得ん」
 そう呟く老魔術師にオプシディオは軽く首を振ったが「悪く思わないでくれ」と、ボクに歩み寄った。
「兄貴!」
 八方塞がりだ。この状況を脱するには術を使うしかない。だけど、彼らを傷つけずに突破する事は可能なのか。あらゆる思いが高速で駆け巡った。
 しかし、それは突然起きた。癒し手が両掌を掲げ、呪文を唱えようとした時、バージがその首根っこを容赦なく締め上げた。
「な……!」
 一瞬にして意識を失った癒し手の身体が宙に浮いた。バージはそのまま彼を放り出し、回転しながら大剣でブロジュの杖を真っ二つにした。
「バージノイド!」
 ブロジュの悲鳴が上がる。バージは躊躇いもなく高速でブロジュの懐に入り、みぞおちへと拳を食い込ませた。
「ブロジュ様!」
 頽れていく老魔術師をラカンカが支える。術が解け、床に跪いたまま、バージの裏切りとも思える行為をボクは唖然と見ていた。
 彼は再びオプシディオを抱え、力ない身体に剣を突き付けた。
「手を出すな。近寄るとこの美しい顔に傷がつくことになる」
 そう言いながら、玄関扉の方へと引き摺った。
「バージノイド様、どうするつもりですか……」
 ラカンカの声が震えている。ミオが寄り添い、二人はボク達を見て目を潤ませた。
「立て、翔平」バージはボクを見下ろして言った。
「行くぞ」
 バージがボクの側についた。ブロジュ達を裏切るとは思えなかっただけに、半ば信じられないまま無言で大きく頷いた。
「翔平、本当にそれでいいの?」ミオはいつになく真剣に言った。
「私にはあんたのやろうとしている事が見える」
彼女が何を見ているのかは分からない。だけど、もう恐れるものは何もなかった。
「覚悟はいいか」
 灰色の狼は言った。そして癒し手を離し、玄関扉を開いた。
 眩しい。霞がかってはいたが、それでも屋根裏のランタンよりはましだ。ここが、これからボク達を苛んでいく迷宮への入り口。最後まで駆け抜けるしかない覚悟の扉でもあった。
 扉を後ろ手に閉めた。兄妹の視線が背中に刺さる。心が揺れないよう、これが別れではないと言い聞かせる為に。バージと二人顔を見合わせながら、廃墟と化した民の街へと足を進めた。
「ありがとう」ボクは言った。
「礼は早い」と、周囲に視線を向けながら彼は言った。
 それでもボクには、バージが居るだけで希望の灯が見える。
 ボク達はあまりにも民の街に馴染まなかった。存在するだけで民の目を引き、彼らは遠巻きでコソコソと呟き合った。窓から顔を出す者、ボク達の後ろについて来る者。一歩足を進めるたび、いつの間にかボク達を先頭に、生気を失った民衆が行列を成していた。
 ある者は近寄って言った。
「ま、真の名を呼ぶ者ですね……」
 その目は濁り、死者を思わせた。その者だけじゃない。ボク達を取り巻く全員が、異様に炯々と目を光らせ、恐怖を感じる程の畏敬の眼差しを向けてくる。
「話しかけるな」
 バージはボクに言った。それが仮に冷淡だとしても、言葉を失ったボクにとって、救いに感じられた。
死臭が漂っていた。洗い流しても拭いきれない血糊の跡。煉瓦の歩道は赤黒く染まり、噴水広場に続く道までが特に悲惨だった。
この中で民が暮らしている。毎日死と隣り合わせになりながら、ボクの為に命を張っている。重責と哀しみと恐怖に涙が一筋こぼれたが、悟られないように拭った。
噴水広場には複数の槍が地面から突き出ていた。これが何を示すのか分からないまま、ボクらはそれを見上げた。
 すると、一人の男が行列の中から躍り出し、ボクの前に跪いて青銅よりも蒼ざめた顔で言った。
「私の娘が串刺しにされました。この噴水広場で。この槍は毎日生贄を晒す為の道具」
 心臓がどくんと打った。
「あなたに見て欲しかった。私の娘がどのような最期を迎えたか知って欲しかった。いえ、恨んでいる訳ではありません」
 前に進み出た男の目は落ち窪み、暗黒を宿していた。ボクは思った。恨んではいない。憎しみだ。支配が彼の支えになっているものの、奥底には根深く複雑な感情が眠っている。
 恐ろしかった。無数の視線がボクを貫く。今や広場は人だかりで一杯になり、ボクの言葉を待っている状態だった。この敵か味方かも分からない混沌とした空気感に、バージは大剣に手を掛けたままだった。
「ボクは真の名を呼ぶ者……」
 かける言葉など見つからない。それでも、彼らを納得させる言葉を発しなければ。それが当主の努め。真の名を呼ぶ者自ら姿を現す意味を成すものだった。
「ボクの為に命をかけてくれてありがとうございます。でも、もう逃げも隠れもしません」
 固唾を飲む民衆たち。自分たちの行いが間違いではないと、そう言って欲しいのが分かる。
「ボクはあなた方から苦しみを取り除くつもりです」
 彼らは顔を見合わせ、口々に囁いている。希望なのか猜疑なのか分からない。民の一挙手一投足が、ボクにとって複雑な戦慄の対象になっていた。
「いずれあなた方を解放し、自由にします。そうすれば、ボクの為に命を捨てることもなくなる」
 沈黙が流れた。虚無の目はボクが何を言っているのか分からないといった風だった。
「私達を見捨てるのですか……」
 誰かが言った。
「そうです……私達を見捨てないでください!」
見捨てる……?意外な言葉に絶句せずにはいられなかった。
「翔平、もういい」
 バージは直ぐに遮った。すると、突然、妖霊の鬨の声が木霊した。一斉に民衆が悲鳴を上げ、ボクを守るべきか逃げるべきかとたたらを踏む。
「逃げて!」と、ボクは叫んだ。
「早く建物に!」
 それが引き金となって彼らは這いずり回る様に散った。民家に入る者、抱き合う者、広場を脱出する者。阿鼻叫喚と化した広場を目指して、異形のモノが舞い降りて来た。
「ここに居ちゃ駄目だ。みんなを巻き込む」
 もみくちゃになりながらボクは叫んだ。
「ジェラ、ライゾ!」
 瞬く間に白虎と鷹の妖霊が現れた。彼らは──久しぶりだな。と言い、ボク達をジェラの背中へと乗せた。
 右往左往する民衆と、襲い来る妖霊の狭間を駆け抜ける。跳躍しながら広場を横切り、烈火の如く石畳を蹴った。
 後ろには異形のモノが迫っていた。大ぶりの魔剣が唸り、奴らを切り裂きながら街を離れた。人気のない丘を登る。奴らの数が減り、頂上に達した時、ボク達は二、三体の妖霊と対峙するしかなくなっていた。
 逃げ場はない。そう思う一方で、作戦を決行する為の駆け引きをするべきだとも感じた。
「アンクーに伝えて欲しい事がある」ボクはそう言ってジェラから下りた。
「魔剣がある限り、ボク達はただではやられない。おまえ達も必ず巻き添えにする。ここでボク達と一緒に消滅する道を選ぶのは勝手だ。だけど、一旦引き返し、伝言を伝える方が利口だと思うけど」
 奴らは両肩を上げ、凄んだ。しかし、次第に魔剣の煌めきに力を落とすと、淡々と発した。
──伝えてやってもいい……。
 チャンスだった。アンクーが取引に応じるとは思えなかったが、何もしないよりはましだ。
「明朝、屋敷に行く。必ず行くと約束する。だからそれまでは民に手出しをしないでくれ。ボクの身と引き換えに、同志の身を引き渡して欲しい。そして、ボクの事は望むようにしていいと、アンクーに伝えてくれ。もしボクが約束を破った時は、おまえ達の好きにすればいい」
 異形のモノは暫し身じろいだ。しかし、直ぐに口を歪めて頷いた。そして、次々と翼を広げて飛び立って行った。
 静寂が流れた。暫し誰も口を開こうとしなかったが、バージが漸く口火を切った。
「本気か……」
 淡々としていた。それが精一杯なのも分かった。
「めちゃくちゃだろ?」
 ボクは自嘲を織り交ぜて言った。何処まで成功するか分からない。ボクの思惑が順調に進む保証もない。ただ、ボクにはボクの作戦がある。もう、何もできない自分に戻るのだけは嫌だった。
不安が募る中、夕暮れ時の草むらに腰かけた。すると「めちゃくちゃだな」と、彼は後追いをした。
「しかし、斬新だ」とも言った。
「おまえでなければ考えつかない発想だ。全てどう転ぶか分からない。だが、おまえが命を賭けて遂行する覚悟があるなら、私もその計画に命を賭けよう」
「バージ……」
 彼もまたゆっくりと腰かけた。ボク達は暫しの休息とでも言う様に、長草の擦れ合う音を聞いた。風がそよぐ。民の街で見たものが嘘の様に、ここは平和な空気が流れていた。
「バージの真の名は?」
 ボクは訊いた。もし、彼の言葉が支配によるものなら、彼を巻き込んだ事になる。仲間を裏切ったのも、民と同じ忠誠を誓っているとしたら。
「余計な事を考えるな」と、彼は言った。
「これは私の意志であり、支配によるものじゃない。私を試すな。それこそ、最大の裏切りだ」
 彼の横顔を見た。揺るぎのない意思。この言葉に嘘はないと、夕暮れを見つめたままの視線は伝えていた。
「わかった……ありがとう」ボクは微かに呟いた。そして、心から同志となった事に、信頼を込めて言った。
「例えこれからやる事がめちゃくちゃでも、ボクは何も変わってないと信じてくれる……?」
 彼は一時沈黙した。しかし、僅かな一瞥を送って言った。
「信じている。何があっても。おまえのやろうとしている事を私が最後まで見届けてやろう」
 それは心強く優しかった。こうして彼はいつでもボクを勇気づけてくれる。傍に居てくれる。ファリニスも同じ気持ちだったに違いないと、その存在に感謝した。
「日が沈む。気をつけろ」
 ジェラとライゾは消え、ボク達は長草の上に横たわった。それらは上手く身体を隠してくれ、暮れゆく天空だけが見える。
 一晩中、息を潜めるしかなかった。数多の妖霊が半透明な筋となって流れていく。それは一定の方角に向かい、何処かに集結しているかに見えた。
「屋敷だ……」
 ボクは言った。屋敷に向けて妖霊が集結している。それは明らかにボクを警戒しての事。奴は鉄壁の防御をするつもりだ。
「一筋縄ではいかないだろう」
 バージとボクは身を寄せ合い、日の出までそれらの妖霊を見つめた。


サポートをしていただけると嬉しいです。サポートしていただいた資金は資料集めや執筆活動資金にさせていただきます。よろしくお願い申し上げます。