十四 暗黒の化身

 城壁の外で有象無象が犇めいているただ中に、ボク達は突っ込まなくてはならなかった。奴らは殺気立った眼を向け、牙を、爪を広げて待っていた。
 しかし、何よりもボク達を驚かせたのは、城門の際に数本の棒が立ち並び、そこに仲間の同志が晒し者の如く括りつけられていたことだった。
「バージ、同志が!」
 彼らは一様に項垂れ、遠巻きでも分かるほど、ボロ布の様な姿になっていた。その中には、間違いなくニコレッタも居た。その周囲には異形のモノが爪を立て、生贄を切り裂かんと薄ら笑いを浮かべている。このままでは、彼らを救うどころか近付く事も出来ない。
 しかし、これが生き残り全員だとしたら余りにも少なかった。どれだけ犠牲が払われたか。ボクは雄叫びを上げながら、スピードを緩めることなく、妖霊の群れへと突っ込んだ。
 異形のモノが一斉に動き出す。ボク達の行く手を阻んだ妖霊がジェラを横倒しにした。流れる様に地を滑りながら、弾き飛ばされたボク達をジェラは青銅の目で見つめた。
「ジェラ、逃げて!」
 裏切り者の妖霊が只で済むとは思えない。ジェラは何かを言わんと目を見開いたが──償いは必ずする。と、言い残し、襲い来る妖霊を前に姿を消した。
 バージは立ち上がりながらボクを背中に回し、妖霊の群れが次から次へと襲いかかるのを魔剣で防いだ。
 妖霊の壁の向こうでは、ブロジュの騎馬隊が前に進めず応戦していた。もはや、見渡す限り戦場と化したこの地で、アンクーを探した。奴は何処に居る。ボクはバージから離れ、城門へと駆け寄った。
「翔平、離れるな!」
バージの声が聞こえたが、ボクは藁にも縋る思いで叫んだ。
「アンクー何処だ!ボクは約束通りやって来た!どうか、誰にも手を出さないでくれ!」
 屍の目で項垂れていた同志達は、ボクの声に反応して次々と顔を上げた。杭に後ろ手に括りつけられた彼らは、まさかと言った目でボクを見つめた。
「翔平様……」
 ニコレッタは乱れた髪の隙間から落ち窪んだ目を向けた。その声は掠れ、絶望と希望の狭間で小刻みに揺れた。
「駄目です、翔平様……!」
 彼女は叫んだ。喉元に奴らの爪が突き付けられているのも構わずに。
 すると城門が突然、不愉快な軋み音を上げて開き始めた。ゆっくりと、それはまるでこの惨状を楽しんでいるかの様だった。
「アンクー……」
 奴が不敵な笑みを浮かべ、暗黒のオーラを纏って歩いてくるのが見えた。余裕綽々で現れる姿はまさに闇の化身。
「うるせえ奴らだ」奴は城門前を流し見て、呆れ顔で言った。
「貴様ら、誰が手出しをしていいと言った。お楽しみのショーが台無しだ」
支配者の一声で妖霊の攻撃は鎮まった。騎馬隊との小競り合いは続いていたが、誰もがアンクーの禍々しさに目を奪われていた。
「おまえは夜明けに来るといったはずだ。随分、気楽な登場じゃねえか」
 奴は真紅のマントを払い、ゆっくりとボクに近寄った。
「それは……」
何も返せない。蛇の目に魅せられたかの如く、微動も出来なくなった。
「だが」奴は軽く口端を上げた。
「単身やってきた度胸は誉めてやるぜ。仲間を裏切るとは傑作だな」
 愉快とばかりに引き笑いが城門に響いた。
「だったら、今すぐ同志を解放してくれ。おまえの望みはボク自身のはずだ」
「奴の思い通りにならないでください!」ニコレッタはボク達の狭間で割る様に叫んだ。
「私達は覚悟が出来ています。お願いですから奴の元に行かないでください!」
 同志全員が同じ思いでボクを見ている。だけどなおさら、ボクの決心は揺らがなかった。
「今後、民や同志に手を出さないと誓ってくれるなら、ボクはおまえのモノになる」
 彼女の懇願を掻き消す様に言った。それは、全ての者に対して示す当主としての意思だった。
「いいだろう。その証としてこの手を受け取れ。いいか、バージノイド、貴様は動くな。貴様にはもっと大事な役割がある」
奴は試す様に片手をボクに差し出した。何を企んでいるのかは分からない。ただ、それを握り返した瞬間、ボクは奴のモノになる。とうとうこの時が来た。これが状況を打破する第一歩……。
 ボクは振り返り、バージの顔を見た。すると彼は躊躇いもなく頷き、ボクの背中を視線で押してくれた。
行くぞ、翔平。ボクは覚悟を決め、奴の手を握り返した。方々で悲鳴が上がる。
「ようこそ、我が屋敷へ」そのまま力任せに腕を引いた奴は、ボクを羽交い絞めにして囁いた。
「約束通り同志を解放してやろう。ただし、条件がある。オレを待たせた代償はちゃんと払ってもらう」
 心臓がドッドドッと不規則に打った。
「何が望みだ……」
 ボクの恐れていた事が起きる。そんな予感がする。奴はどんな小さな弱みも逃さない。
「バージノイド」奴はすかさず言った。
「貴様が力ずくで同志を解放しろ。貴様だけの力で。妖霊がどう出るかオレは知らねえ。だが、それを掻い潜ってでも奴らを解放できたなら大人しく渡してやる」
「そんな事をしたらバージが……」妖霊が手出しをしないはずはない。例え魔剣を駆使しても、奴らを相手にしながら解放するには無理がある。
「奴らに手を出すなと言ってくれ!」
「これはオレを楽しませる為のゲームだ」奴は道化の様に手を広げて言った。
「それぐらい覚悟しておけ。だが、奴は世界屈指の剣士。信用しろ。なあ、バージノイド」
 バージと奴は暫し睨みあった。
「いいだろう。相手をしてやる」
 彼は灰色の目で真っ向から見据え、迷いもなく言った。
「バージ!」
 誰もが蒼ざめた。しかし、彼は息を吸う間もなく走り出した。大剣が空を斬る。不意を突かれ怯む妖霊。その隙に一人目の同志の縄を切った。しかし、物事はそう簡単にはいかなかった。同志に気を取られている瞬間が彼の隙でもあった。それを捉えた妖霊が鎌風を繰り出す。
「バージ!」
振り返りざま、返り討ちにした。それでも四方からの攻撃にやられ、彼の身体はみるみる切り刻まれていった。
「やめさせてくれ……こんなのは無茶だ……無謀だ!」
 自然と身体がガタガタと震えた。目の前でバージが切り裂かれて行く。それを見ていられず、目を逸らしてしまった。
「見ていろ!」しかし、奴は容赦なくボクの顎を掴んだ。そして、耳元でこう囁いた。
「おまえの大事な護衛士の勇姿を、目に焼き付けておくんだな」
 悔し涙が目尻に滲んだ。憎い……この男が心底憎い……。
両肩を震わせながら血に染まっていくバージ。唸り一つ上げず、どんなに邪魔されようと確実に同志を解放していく。「早く行け」と、一人一人に声を掛け、無事に逃げられるよう援護をする。その度に彼は膝を折り、力を失って行った。 
今すぐ飛び出してバージの力になりたい。代われるものなら代わりたい。叶わない思いにただ拳を握り締め、唇が切れるほど噛んだ。
「バージノイド……!」
ニコレッタは叫んだ。解放された同志達はひと塊になりながら、わなわなと身体を震わせて泣いた。
とうとうバージは全員を解放した。両腕はだらりと下がり、大剣の先から彼の血がポタポタと滴り落ちている。今にも頽れんばかりだったが、地を踏みしめながら瀕死の猛獣の様な目で奴を見ていた。
奴は拍手を返した。「なかなか見応えがあったぜ」と言い、同志に向かって「感謝するんだな」と笑った。
「余興はこれでおしまいだ。おまえはオレと来い。ファリニス」
 両膝に力を失っていたボクを、奴は腕を引いて立たせた。未だ全身が小刻みに震えている。バージの元に駆け寄りたい気持ちを抑え、ボクは断ち切る様に踵を返した。すると、奴は言った。
「その調子だ」
 途端に雷鳴が轟いた。烈火の速さで暗雲が集まり、騎馬隊の上空でそれは渦巻いた。それと共に雹が降り始めた。氷の粒を集結させていたのは天を指すブロジュの杖だった。
 それは氷の刃となって三方に飛んだ。妖霊の壁を突き破り、人々は悲鳴を上げながら身を伏せた。しかし、ただ一点、大木の如き鋭利な氷がボク目掛けて飛んできた。
 ブロジュは紛れもなくボクを狙っていた。避ける事も儘ならず呆然と立ち尽くし、瞬間的に目を閉じた。
やられる──
 そう思った。だけど、鈍い音と微かな唸りが聞こえただけで、何も起きる様子はなかった。
 恐る恐る目を開けた。最初に目に飛び込んで来たもの。それはバージの灰色の眼だった。彼は仕方ない奴だと言わんばかりの眼でボクの前に立ち塞がっていた。
 刹那、何が起きたか分からなかった。だけど、彼の口端から一筋の血が流れ、それを辿った時、全身で慟哭した。
 バージの胸には丸太ほどの氷の刃が貫いていた。彼は朦朧とした目で血を吐き、ゆっくり前へ倒れた。
「バージ!」
 反射的に彼を支えようとした。しかし、アンクーに身体を引かれ、触れる事も出来なかった。地に伏すバージ。このままでは死ぬ。バージがボクの身代わりになって。どうしてこんな事に……どうして!
「来い!」
 アンクーはボクの身体に腕を回し、城門の中へと押し込もうとした。
「嫌だあ!嫌だ、バージ!起きてよ、バージ!」
 もう、何もかも分からない。ただ暴れるボクに奴は言った。
「手こずらせると民の命はない」
 従うしかない。これが望みであり、目的なのだから。
 それでも、奴に引きずられながら空に手を伸ばし、バージを掴まんばかりに繰り返した。
「バージ、バージ……」
 城門は無慈悲にきしみを上げて閉じていく。呆然とした空気が漂う中、奴の手を振り切り、地に突っ伏した。
 ボクは一心不乱に号泣した。どうして、どうして。その言葉が旋回する。ブロジュはボクを殺してでも行かせないつもりだった。でも、まさか、バージが……。
 だが、奴はいつまでもボクを泣かせてはくれなかった。
「立て」とボクの髪を掴み、頭を持ち上げた。涙でぐしゃぐしゃの顔を一頻り眺め「惨めだな」と言った。
「バージノイドは死んだ。おまえにもう帰る場所はねえ。大人しく真の名を教えろ。そして、オレのモノになれ」
 抵抗する気などなかった。全ては覚悟の上だ。ただ、バージを失った絶望だけがボクを蝕む。バージはどうなった。バージがいない。その喪失感は計り知れないものだった。ボクの目的も、何もかも全てどうでもいいとさえ思った。バージが傍に居る。その事が何よりも大切なのだと分かった。
「教えてやるよ」ボクは言った。
「それが望みなんだろ」
 アンクーは眉を顰めた。ボクの考えをどう受け止めるべきか思案している風だった。だが、直ぐに「素直じゃねえか」と、口端を上げた。
 真の名が何だ……そんなモノに惑わされてたまるか……ボクは痛む胸を押さえて立ち上がった。怒りさえも湧き上がる。
「『かける』」ボクは即座に言った。
「ボクの真の名は『かける』」
 暫しボク達は睨みあった。支配できるものならしてみろ。もうボクに怖いものはない。奴の嬉々とした顔が逆に笑える。ボクはおかしくなったのだろう、真の名を告げた事が愉快で堪らなかった。
 奴は言った。
「オレに真の名を呼ばれた者は支配される」それはまるで世界を支配するかの様に。
「『かける』おまえを支配する」
 しかし、待てどボクに変化はなかった。証すらも疼かない。奴もまた、忽ちそれが無駄である事が分かった。
「どういうことだ……」奴は凄んで言った。
「『かける』は貴様の真の名のはず……どうして支配されない……」
 ボクは声を上げて笑った。作戦通りだ。ボクが勝った。こんなに痛快な事があるだろうか。
「支配できるものならしてみろ。ボクは既にファリニスに支配されている。彼女の力を超えない限り、おまえが支配する事は出来ない」
 腹を抱えて笑った。
「さあ、ファリニスを超えてみろ!おまえには無理だ!」
 奴の顔がみるみる悔しさで青ざめていく。それを見てボクはますます嘲った。
勝った──
 すると、奴は平手打ちのみならず、吹き飛んだボクの腹を思いきり蹴った。それでも笑う事をやめなかった。どんなに人形の様に蹴られようと殴られようと、ボロボロになるまで、笑い続けた。 

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