五 黒い罠

──当主様。
 ボクの意識に入り込む声。アンクーの呼びかけが聞こえる。それは神経を貪られるほどの不快さで、身体を半分に折らずにいられなかった。
「大丈夫ですか、翔平様!」
 ニコレッタが近寄る。扉が開き、バージが足早に侵入してきた。彼は無言で天窓に視線を送り、そこで身じろぎ一つしないエドモスに頷く。
「襲撃……?」
 ボクの声は微かに震えていた。いつかこうなることは分かっていても、何処かで嘘だと信じたかった。
「いや、妖霊を従えてはいるが……何かがおかしい。とにかく、おまえは書庫に居ろ。敷地ではここが一番安全だ」
 バージは扉から離れるように指示した。
天窓はエドモスに守られ、ボクはバージに守られている。ニコレッタ共々周囲に気を張り、奴の動向を探った。
──当主様に会いに来た。穏便に話をしようぜ。
「奴の声を聞くな」
バージの表情が苦虫を嚙み潰したようになった。
「バージにも聞こえるの」
「ああ。正確には奴が聞かせているのだろう。これは罠だ。奴の要求には応えない」
 アンクーがバージにまで呼びかけを送っている。わざと聞かせることで、何を企んでいるのか……。
──当主様と話がしたいだけだ。それが叶えば手出しはしないと誓う。
 まるで、ボクの思考を読んでいるかのようだ。どう対処すべきだろう。手出しをしないなら、やはり行くべきだと思う。だけど……。
「駄目だ、行くな。何を考えているか分からない」
 バージはいち早くボクを止め、一瞥を送った。
──当主様が現れないのなら、ここを襲撃するしかねえ。オレにとっては本意じゃないが、とだけは言っておこう。
「もしここが襲撃されたら大変なことになる」
 ボクは大きく足を踏み出した。それを、またバージが制した。
「行かせてよ。今はエドモスが居るけど、やっぱり無傷っていう訳にはいかないと思う。あの時と同じ状況になるなら、自分を差し出した方がましだ」
「おまえはおまえ一人のモノじゃない」バージは直視して言った。
「例え襲撃されようと、おまえだけは全力で守る」
 ボクが真の名を呼ぶ者だから。新世界のためだから。言っていることは分かる。だけど、ボクにとって大事なのは目の前にいる仲間……。
「そんなの嫌だ……みんながやられるのを黙って見ているなんて出来ない。ボクは当主だろ?ボクのやり方に従ってくれよ」
 血が沸き立つ。奴がのうのうと待つとは思えないし、一刻も早く解決させたい。
歩き出すボクの腕を、とうとうバージが掴んだ。
「自惚れるな。今のおまえにどれだけ力がある。足手纏いになるだけ……」
 思わずバージの頬を殴ってしまった。
「翔平様!」
ニコレッタの悲鳴が上がった。でも、彼にだけは分って欲しい。ボクの気持ちを。
「バージの言い分は正しいよ。ボクはただの足手纏いかもしれない。信用できないかもしれない。でも、当主だ!ファリニスほどにはなれないけど、それでも、仲間を失いたくないという気持ちは同じだ。奴が手出しをしないと言うなら、ボクは行く。ボクの考えが甘くても行く!」
 拳だけじゃない。心が痛む。誰かを殴ったことなんて一度もない。それも、バージを殴るなんて……。
 静寂が流れた。全員が何かしらの思いを抱き、空気が流れ出すのを待った。
「……わかった」バージは俯いた顔を上げた。
「ただし、私のそばから離れるな」
 ボクの背に手を回し、軽く押した。
「そんな、バージノイド!翔平様を行かせるなんて!」
 ニコレッタの声が背中で響く。それに目をやることもなく、彼は返した。
「翔平を信じる。私達が当主を信じなくてどうする」
 力強い声だった。ボクと共に覚悟したとでもいうような、何者も言い返せない声音だった。
「来い」
 彼は扉を開けた。中庭に出たボクはバージの顔を見た。微妙に片方の口端が上がっているのが分かる。信じてくれた。認めてくれたんだ。心が躍る。ここへ来て初めて、気持ちが通じたような気がした。
「気を抜くな」
 城門の前にはブロジュとラカンカ、そして魔術師達がいた。師匠を囲むように立ち、距離を保ったアンクーと対峙している。ボクが現れることで、魔術師は虚を突かれたように動揺し、互いに顔を見合わせた。
「翔平……」
 ブロジュは、ボクとバージを見た。とくにバージに向けて強い視線を投げかけた。
「やっとお出ましか。オレ一人に大歓迎、ご苦労様……」
 アンクーは、ほくそ笑んだ。奴の周囲には黒豹に変化した妖霊が、余裕の素振りで佇んでいた。
「久しぶり、とでも言っておこうか。随分顔つきが変わったなあ。当主としての責任に目覚めた、というところか?」
 ボクを舐めるように見つめる視線に、バージは割って入った。
「要件を言え」
「おっと、バージノイド。ずいぶん老けたな。オレを見ろ。あの頃のままだ」奴は勝ち誇ったように笑った。
「エドモスがいる貴様らに手を出すほどオレも馬鹿じゃねえ。ただ……」不敵な笑みを浮かべる。
「親切にこいつを持って来てやっただけだ」
 奴は黒豹に命じてある物を手にした。それを頭上まで掲げ、ボクを見て言った。
「これが何か分かるか、当主様」
 ボクは飛び上がった。分からないはずはない。奴が手にしていたのは、ボクの学校のボストンバッグ。銀で印刷された校章が光に照らされて、確実に視認できる。だけど、ボクが見たのはそれだけじゃなかった。取っ手にぶら下がるキーホルダー。サーフボードの形をしたそれは、ボクが柳瀬の誕生日に渡した物だった。
「どうして……おまえがそれを……」
 全身から冷や汗が流れ落ちる。息が詰まり、答えを聞くのも恐ろしかった。
「森の奥にある岩山に一人で来い。そこに来れば真実がわかる」
 奴の手から落ちたそれは、砂地に煙を上げて横たわった。あれが本当に柳瀬のボストンバッグだとしたら、柳瀬は……?
 膝下ががくがくと震えた。頽れるボクをバージが支え、それを見た奴は更に腹を抱えて笑った。
「目には目を。おまえの大事なお友達が元気な内に来ることだな。オレは容赦はしねえ。それは、おまえが一番分かっていることだ」
 ここにいる者、全員が蒼白になった。目の前が漆黒に染まり、心臓の音だけが鼓膜に響く。
「オレは気が短い。次はお友達の亡骸を連れて来ることになるかもしれねえな」
 奴はそれだけを言って去って行った。
バージを振り切り、鞄の元へ走った。砂地に跪き、間近で見たそれは間違いなく柳瀬の物だった。
「うわあああああーーーーーー!」
 叫んだ。柳瀬を巻き込んでしまった。あいつがアンクーの元にいる。何をされるか分からないまま、この世界に、たった一人で。
 声が枯れるまで叫ぶしかなかった。鞄を抱え、前のめりになるボクに声をかけられる者などいない。想定外。ただ、その一言しか思い浮かばなかった。
「行く……今すぐ行く!森の岩山って何処だよ!ボクに教えてよ!」
「落ち着け翔平」バージが共に片膝をついた。
「闇雲に行っても共倒れになるだけだ。行くなら私も行く」
「ボク一人で来いと言った……」
声が震えた。無謀な要求だと分かっていても、柳瀬の不利になることはしたくない。しかし、彼は後に引かなかった。
「それでは奴の思う壺だ。あの森は妖霊の住まう幻惑の森。友を救うどころか、一歩足を踏み入れた途端、迷うことになる。森を抜けるまでは私も一緒だ」
 頷いた。不安は募る一方だ。だけど、どれだけ事前に罠を回避できるか。バージの言う通りだと思った。
「こんなことになるとは……」ブロジュは歩み寄って言った。
「おまえの存在をあの世界から消したつもりでいた。しかし、奴には通用しなかった。それはわしの落ち度だ……」
奴はどんなに僅かな隙だって逃しはしない。ボクの弱みにつけ込み、とことん追い詰めていく。それが奴の喜びだからだ……。
「行くなといっても、どんな手を使ってでも行くだろう」
 ブロジュは厳しくも揺れる目で言った。ボクは迷いもなく頷いた。
「行く。何が起きようと、柳瀬を取り戻す」
 ブロジュも軽く頷き、見張り塔に座るエドモスに顔を向けた。
「エドモスも連れていけ。屋敷はわし達が何とかする」
「ありがとう……」
 ボクは何度も礼を言った。涙が一筋こぼれ落ちる。屋敷を空けることがどれほど痛手か、まるで知る由もなく。
「もう日が落ちる。気が気ではないだろうが、出発は明朝。準備を万端にしてからだ」
 ブロジュの号令で全員が忙しなく動き始めた。ボクは自室に籠もり、淡々と時間が過ぎるのを待った。
 全部、ボクのせいだと思った。こうしている間も柳瀬は不安でいるだろう。そう思うと気が変になりそうで、ベッドから勢い良く起き上がった。
 部屋の扉を開けた。そこには、ニコレッタが言っていた通り、バージが大剣を抱えて座っていた。
「入ってよ」ボクは言った。
 バージは軽く眉を潜めたが、ゆっくりと立ち上がり、部屋に足を踏み入れた。
「ありがとう。ずっとあそこでボクを守ってくれてたんだね。今まで知らなかった」
 彼は何も言わず、出会った時のように壁に縋った。沈黙が流れる。これだけは何時まで経っても進歩しない。
「どうしてボクと話そうとしないの。そんなにボクは駄目かな」
「駄目……?」彼はぽつりと言った。
「私はおまえの護衛士だ。その務めを果たす。それだけだ」
「そっか……」苦笑いがこぼれた。
「分かったよ。それ以上でも、それ以下でもない。ボクは真の名を呼ぶ者として連れてこられた何も出来ない男。それを護衛するのは、ただの任務だから。そういうことなんだよね」
 無性に胸が苦しくなった。何が伝えたいのか自分でも分からない。ただ、もっと気楽に接して欲しかった。
「おまえは私に何を求めている」
 感情の読めない目が正視する。
「その距離を置いた言い方だよ!」いきなりポロリと歯止めが取れた。
「ファリニスと同じようにとは言わないけど、もっと親しくなれるかと思った。護衛士だから務めを果たすって、そんなの寂しい言い方しなくてもいいだろ。ボクがどんな思いでここにいるか……」
 そこに、目を丸くしたニコレッタがラカンカと共に入って来た。そして、不敵な笑みを浮かべて言った。
「あら、お邪魔でしたかね」
 意味深な言葉にバツが悪くて、ボクは押し黙ってしまった。
「扉が開いていたもので。お邪魔ならまた伺います」
 去ろうとするのを、慌てて止めた。
「いや、居てよ。もう話すことはないし……」
 その言葉を聞くと、彼女はすかさずバージを押し戻し「まあまあ」と言いながら部屋の中程まで入れた。
「喧嘩するほど仲が良いってね」
 と、ラカンカと二人でくっくと笑った。
 バージはひたすらニコレッタを睨んでいた。そこにはボクの見たことがない姿があって、ちょっと羨ましくもあった。
ニコレッタは手にしていたバスケットを開いた。中にボクの大好きなサンドがぎっしりと詰まっている。
「明日、危険な旅に出られると聞きましてね。翔平様の好物を作ってきたんです。腹が減っては、戦はできぬ、ですからね」
それに頷いて、今度はラカンカが小瓶を差し出した。
「私は密かに溜めていた蜜を持ってきました。一口舐めるだけで疲れが吹き飛びます。ぜひ、これも持って行ってください!」
 それらを手にして、涙が溢れそうになった。嗚咽が漏れそうで言葉にならない。そんなボクを、二人は心配そうに見つめた。
「なにか、余計なことでもしました、かね……?」
「違うんだ」ボクは言葉を絞り出した。
「嬉しくて……温かくて……心が折れそうだったけど、頑張れる気がする」
 二人の顔が太陽のように明るんだ。
「ああ、良かった」
 ニコレッタは胸を押さえた。ラカンカもそれに続く。
「負けないでください。屋敷は私達が守ります!翔平様はお友達のことだけを考えてください」
 二人の思いやりが胸の奥に沁みる。どうしてここまで優しくできるのだろう。きっと、これが仲間なんだ。ボクは心からそう思った。
「また、会えるよね」
 自分を諭すように言った。すると、二人は矢継ぎ早に返した。
「もちろんです。屋敷でお待ちしております!」
「くれぐれもお気をつけて。あなたが戻ることを信じています」
「俺もです!」
 嬉しかった。ボクを信じてくれる人達がいる。帰りを待ってくれる仲間がいる。戻ったら柳瀬をみんなに紹介するんだ。それを支えに、頑張ろうと思った。
 こんな安らぎの時間が、もう永久に来ないことも知らずに。

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