エピローグ

 私は厩で愛馬に鞍を乗せていた。
翔平が居なくなってから僅かしか経たない。それでも世の中はブロジュを中心とした新たな世界へと再建に全力を尽くし、民も一丸となって光を取り戻そうとしている。
それを見るのが辛い。彼はもう二度と戻ってこない。それを突き付けられている様で、受け入れるには時間がかかった。
旅に出よう。そう思った。誰も知らない土地へ行こう。今はそうする事で平常心を保つのが精一杯だった。
見送りはするなときつく言っておいた。私にとってはそんな旅じゃない。
しかし、連中はそんな事などお構いなしだった。その証拠に、コツコツと不自由そうな音と共に、聞き慣れた足音が近づいてくるじゃないか。
思わず溜め息をついた。どうして彼らはこうも……お節介なのだろう。
厩に入って来たのはニコレッタと、松葉杖をついたラカンカだった。彼らは出し抜いてやったと言わんばかりの笑みを浮かべ、旅の準備をしている私を繁々と眺めた。
「来るな、と言っただろ」
 私は言った。すると、ニコレッタは手にしていたバスケットを差し出しながら、当たり前の様に言った。
「バージノイド。腹が減っては、旅は出来ないってね!」
 彼女の瞳には薄っすらと涙が浮かんでいた。
腹が減っては、戦は出来ないってね──
 懐かしい。前にもこんな事があったはず。そうだ。幻惑の森へ行く前夜。私達と翔平で笑い合った。中には翔平の好物のサンドが入っていて……。
 バスケットの中身を確認した。そこには、あの時と同じサンドが入っていた。
「なんだか懐かしいですよね!」ラカンカが口火を切った。
「前にも同じ様なことがあって、あの時は翔平様の帰りを信じて待っていました。待っていて……」
 そう言うと、ラカンカは急にポロポロと涙をこぼし、耐えられないという風に言葉を濁した。そんな彼にニコレッタは肘鉄を食らわした。
「バージノイド。あんたは帰ってくるでしょ?」
 私はぐっと息を呑んだ。旅の終わりの事など微塵も考えてはいなかったからだ。それを予言する様に彼女は続けた。
「待っているからね」
 心が痛む。長年の付き合いか、彼女には嘘をつけない。
「そうです。わたしも待っています」ラカンカも言った。
「ブロジュ様にはバージノイド様が必要です。だから、必ず帰って来てください。勿論、俺達にもあなたが必要です」
 唇が震えそうになった。こんな顔を見せたくない。
私は「貰っていく」とバスケットを受け取り、鞍に跨った。そして、彼らを見ることもなく馬を走らせた。背後からは「待っているからね、バージノイド!」というニコレッタの声が聞こえた。
苦しい。走れ。どこまでも。風よ、吹き抜けろ。開いた穴を埋める様に。
翔平。嵐を巻き起こし、霧の様に消えていった心の友。
私はどんな顔をしているだろう。そんな事を考えるのも苦痛だった。
ひたすら馬を駆った。平原を抜け、街を駆け抜け、気づけば翔平と来た丘へとたどり着いていた。
夕焼けが美しかった。私は二人で見た空を見上げ、草むらへと腰かけた。
──例えこれからやる事がめちゃくちゃでも、ボクは何も変わってないと信じてくれる……?
 彼が言った言葉。変わる訳がない。誰よりも新世界の事を考えていたのは翔平、おまえなのだから。
「信じている。何があっても。おまえのやろうとしている事を私が最後まで見届けてやろう」
 私はあの時言ったはずの言葉を繰り返した。
 すると、誰かの気配を感じた。振り返り、その方を見た。
 そこには、一人の青年が心許なく立ち尽くしていた。
翔平……?──
 姿形が似ている。そう思ったが、彼の髪は金色で、まるで今産まれ出たかの様に透明感に溢れていた。
 私は立ち上がった。彼が私を見たからだ。お互いに歩み寄り、糸を手繰り寄せる様に互いを見つめた。
「おまえは誰だ」
 私は言った。すると、その青年は濁りのない碧眼を向けて言った。
「かける」
 まるで稲妻が全身を駆け巡るかの様だった。この見たこともない、だけど四肢が、細身の身体がまるで翔平の生き写しの様な青年が「かける」と言った。
「おまえは何処から来た」
 何かを確かめたかった。目の前に居るのは私の知っている『かける』なのかと、問いたかった。
「ボクは、誰……?何も覚えてないんだ。『かける』という名前以外……」
 私にはすぐに分かった。これはエドモスの恩恵。翔平に新たな人生を与える為の、人間と妖霊の和解。
「あなたはボクを知っている?」
 彼は不安そうに言った。それに対して私は答えた。
「知っている。私は、おまえの友だ」
 彼は翔平だ。紛れもなく。
 すると、かけるという青年は晴れやかな顔を向けた。
「友。きっと、ボクにとってもそうなんだね」
 私は頷いた。そして、エドモスが翔平を私に預ける様な、そんな気配を感じた。
「おまえを待っている人達がいる。そして、この私も」
「ボクを待つ……」
 彼は不思議そうに首を傾げた。
「私と一緒に来い。日が暮れる」
 この現実が消えないように。彼が再び霧にならないように。私は肩に手をかけ、そして押してやった。
「これからどこに行くの?バージ」
 思わず目を見開いてしまった。彼は気づいていない。笑いが腹から込み上げそうになる。それを抑え、私は言った。
「おまえにこの世界の美しさを見せてやろう。かける」

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