十三 歪んだ忠誠

 夜も白みがかる頃には妖霊達の姿はなかった。ボクらはジェラとライゾを呼び、黙々と屋敷へ向かう準備をした。覚悟は出来た。武者震いだけが全身に伝わる。
 ジェラに跨り、一気に丘を下った。人気のない民家の狭間を抜け、石畳を駆ける。ジェラの爪音だけが朝靄の広がる冷たい空気の中に反響した。
 すると突然、道の左右から民が数人飛び出してきた。待ち伏せしていたのだろう、ボク達の行く手を阻み、手にしていた鍬や斧を構えた。
 それは余りにも唐突で、全力疾走していたジェラは速度を緩めることなく跳躍した。しかし、民衆の上に弧を描いて飛び越えようとした時、彼らは躊躇いもなく様々な農具を突き上げ、頭上を渡るジェラの腹部に突き刺した。
 不意打ちだった。驚愕したジェラはくぐもった声を上げ、霧の様にあっという間に実体を消してしまった。
 ボク達はそのまま宙へ放り出され、勢い良く地面に転がり落ちた。
「翔平、大丈夫か!」
 肩から落ちたボクは唸りながら起き上がった。その傍に駆け寄るバージ。返事をする間もなくボク達の周りを民衆達が取り囲んだ。
 彼らは手に手に鎖を持ち、屍よりも枯れた目で言った。
「真の名を呼ぶ者が逃亡したと聞きまして……」
「あの男の元に行かれるつもりなのですか。行ってどうなさるのです」
 矢継ぎ早に放たれる言葉にも力はない。
「真の名を呼ぶ者を捕えろとの伝令が飛んでいるのをご存じないのですか」
 鎖がじゃらりと音を立てた。鬼気迫る形相に背筋が凍る思いがした。
「それ以上、近寄るな。この者に手を出すと、民と言えど容赦はしない」
 バージはボクを支え、四方に視線を走らせた。
すると、彼らは一層顔色を土気色に染め、腑に落ちたとばかりに声高に言った。
「その男のせいなのですね」
 薄ら笑いを浮かべ、一斉に視線をバージに向けた。まずい、彼が狙われる。ボクは瞬時にそれを悟った。
「そうに違いありません。たぶらかされたのでしょう?」
 見開かれた目には絶望に宿る光が見えた。
「違う」
 即座に答えたが、彼らの耳には入っていない。
「その男を殺しましょう……」
 死神に囲まれている。彼らの持つ武器がそれの大鎌に見える程、殺伐とした気配に包まれた。
ボクとバージは背中合わせになり、慎重に近寄ってくる民衆に固唾を飲んだ。アンクーとの約束は夜明け。ここであっけなく捕まる訳にはいかない。
するといきなり、ライゾが飛来して来た。民衆の頭に嘴と爪で攻撃を始め、虚を突かれた民衆の円陣を崩し始めた。
「今だ」
バージに腕を引かれ、ボク達は全速力で走った。
「妖霊だぞ!」
民衆の悲鳴を背に街を一気に駆け抜けた。目指すは屋敷へと続く広大な荒れ地。休む間などなかった。皮肉な事に妖霊に助けられ、今では民衆がボク達を襲う。裏道を行き、人目につかない林を走り、漸く地平線に屋敷が見える荒れ地へと辿り着いた。
両肩で息をした。日が昇りつつある上、開けた荒れ地を徒歩で行くには時間がかかる。どうするべきか思案している最中に再びジェラが姿を現した。
──すまない。不意をつかれた。
 白虎はそう告げ──間抜けな奴だ。と、嫌味を言うライゾが頭に留まるのも構わず、羞恥の目を向けた。
「ジェラ、無事だったんだね……」
 ボクは柔らかな毛並みの首筋に顔を埋めた。あんな武器で妖霊がやられるとは思えない。分かっていても、ジェラがこうして戻って来てくれたことが何よりも嬉しかった。
「急げ、夜明けは近い」
 バージの号令と共に、ボクらは再びジェラに跨り、荒れ地を走った。もう引き返す場所はないのだ。世界から追われることで、更にその重みが増した。
 程なくして、背後から馬の蹄の音がした。それは、時を追うごとに数を増やし、ボク達を乗せたジェラよりも身軽に近付いてくる。
「ブロジュ達だ……」
 振り返ったバージは背後に迫る追っ手の群れに、苦虫を噛み潰した様に言った。
「もっとスピードを上げられないか!」
 ジェラに言う。しかし、白虎はやっているとばかりに土を蹴った。
「このままでは追いつかれる」
 案の定、ブロジュを乗せた白馬はどの馬よりも早くジェラの横に着いた。そのすぐ後をオプシディオとラカンカの馬が追う。
「止めろ、バージノイド!」
 ブロジュは叫んだ。しかし、バージは前方を見つめたまま何も言わなかった。
 更に先を行くブロジュの馬。とうとうジェラの鼻先を越え、杖の切っ先が前方を阻んだ。それは、白虎の片目に突き刺さらんばかりだった。
 ジェラはスピードを僅かに落とした。術のかかった杖が眼を貫いた時、ジェラといえども無傷という訳にはいかない。おまけに騎馬隊には民も混ざり、何が何でもボクを屋敷に行かせない気だった。
 ボク達は速度を緩めた。前方を騎馬に塞がれ一歩も進めない。アンクーとの取り決めと苛立ちとの狭間で、ボクは叫ばずにはいられなかった。
「道を開けてくれ!ボクの命令だ!」
 しかし、ブロジュは杖を突きつけ、血相を変えて言った。
「真の名を呼ぶ者はおまえのモノではない!この世界の象徴であり、わし達の当主であり続けなければならない。それを放棄するとは、おまえに何の権利がある。おまえは古賀翔平ではない。この世界の、真の名を呼ぶ者だ!」
「支配そのものがこの世界の闇の元凶になっているのが何故分からないの……」
自然と呼吸が荒くなった。ボクの中の何かが崩れ始める。これがこの世界の実態。偽りの忠誠の中で、永久にボクを縛りつける。そんなことは絶対にさせない。
「ボクを邪魔するなら力ずくで突破する……」
 ファリニスが新たな世界の誕生を願うなら、ボクは、今、この世界を破壊する。「バージ!」
 彼に何を求めたのかは分からない。だけど、彼はボクの意思を察知し、大剣を抜いた。
「バージノイド!このままで済むと思っているのか!おまえは反逆罪になるんだぞ!」
 ブロジュは厳しさの中にも懇願する瞳の揺れを見せた。バージが反逆罪になる。彼はそんなことなど承知しているのは分かっている。でも、その言葉はボクに微かな揺らぎを与えた。
「今ならブロジュ様は見逃してくださいます!お二人共、戻ってください」
 ラカンカはなお一層、蒼ざめて言った。だけど……。
「アンクーに行くと約束したんだ。ボクは行く……!」
「奴に……!?」
 彼ら全員が虚を突かれた様に飛び上がった。その隙を突き「行け、ジェラ!」と、バージが叫んだ。覚悟を共にするという勢いをもって。
ジェラは再び走り出した。呆然とした騎馬隊の狭間を抜け、全力で土を蹴る。
 バージは近づくもの全てに大剣を向けた。それがラカンカやオプシディオであろうと。特にバージを手こずらせたのは意外にもオプシディオだった。どこまでも馬をつけ、剣を交える。
「癒し手でありながらさすが聖騎士。腕は衰えてないようだな」
オプシディオに苦戦するバージが細身の剣を受け止めながら言った。
「ああ、生憎だったな!」
 癒し手は口端を上げ、突きを繰り出してくる。しかし、バージはその剣を叩き割るように両手で大剣を振り下ろした。細身の剣が二つに折れ、切っ先が宙を舞った。
「私は真の名を呼ぶ者の護衛士。邪魔をする者は誰であっても斬る!」
 夜明けが過ぎる。彼らをこのまま振り切れるか。どんな理由があろうと、これ以上仲間と戦いたくない。
「アンクー、ボクはここだ!」
 地平線に浮かぶ蜃気楼に向かって叫んだ。もし、奴がボクの挙動を見張っているとしたら、ここに居るのが分かるはず。
「お願いだから待ってくれ!」
 するとそれに呼応する様に、前方から黒いベールが迫って来た。地平線を埋め尽くし、一直線に並んだそれは猛烈な勢いでこっちに向かってくる。近付くにつれ、それはベールではなく、黒豹の群れだと分かった。
「あれは……」
 奴らは土煙を上げ、一直線に突進してきた。前方には猛獣の群れ。背後には騎馬隊。挟み撃ちにされたボク達はそれでもスピードを緩めずに突撃した。
「ジェラ、そのまま行け!」
 ボクは叫んだ。このまま黒豹と衝突するか否か賭けだった。しかし、ボクは勝った。奴らはボク達の脇を通り過ぎ、背後の騎馬隊へと攻撃を始めた。
 騎馬隊の足が止まった。今のうちに行ける。
 ボク達を乗せたジェラは走った。
 背後にはボク達の行く手を守るように、黒豹の群れが続いた。ボク達を頂点に扇状に広がった黒の使者。そして、その後ろを追う騎馬隊。
 誰か味方か敵かも分からない中で、どんどん屋敷に近付く。その内に、屋敷周辺の全容が見えてきた。
城壁の上にはとぐろを巻く妖霊の群れ。そして、城門を囲むように、異形のモノ達が手ぐすねを引いて待っていた。
 まさに、妖霊で作られた鉄壁。
 ボク達はそこへ向かって一心不乱に疾走した。

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