他者を思いやる心が育たないのはなぜ?

若い人が行動を自粛できにくいのは、彼らが活発な年代であることが最大の要因に感じます。本能的に動きたいのでしょう。
でもそこをぐっとこらえるためにはどんな力が必要なのでしょうか?

「伝え方」に言及する場面をよく見かけますが「伝え方」ってそんなに大事ですか?
メルケルさんが感情的に叫べば心がこもっていて、菅(すが)さんが淡々と話せば冷たいのでしょうか?

私は、生きる環境の問題なのだと強く感じています。
私たちはいつから「高齢者」を思いやれなくなってしまったのでしょう。
今、自粛に応じていない若者は、育ってきた環境のなかに身近な高齢者の存在がなかった人が多いと予想されます。

若かりし頃のビートたけし氏が、高齢者の行動を題材にした漫才で一世を風靡したことがありました。年老いることを面白おかしく題材にしていましたがそこには深い愛情があり、氏の母思いは誰もが知るところです。

この年末年始に氏の少年時代のドラマが再放送されていましたが、日本が決して豊かではなかった時代の人情を今もあたたかく伝えていて懐かしかったです。

人間は世代をつなぐという輪廻のなかで成長し年老いていきます。その根底に流れる意識が「他者を思いやる心」です。

高齢者は家族の中で必要な人です。
誰もが必ずいつかは高齢者になるのですから。
生活学的に言えば、人生には必ず「高齢期」というステージがあるということ。

高齢者というのは客観的にその姿だけを見れば、醜い一面を否めません。
見た目だけなく、機能的な衰えもその醜さを助長することがあります。
でもそれは未来の自分でもあるという想像力をもたないといけないのですが、それを自分の家族の姿で学ぶ機会がない若者を一方的に責めることはできません。

「他者を思いやる心」を育てること。
生活学の力で補うことはできるのか。
それが私の命題でもあります。





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