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【122日目・朝】境界線を明確にすることと、相手を敵とみなすことを混同しない。千日祈り on Facebook アーカイブ 2020.5.23

祈り動画https://www.facebook.com/hamadachizu/videos/10223615155269439/
瞑想動画https://www.facebook.com/hamadachizu/videos/10223615350714325/


えっとですね、、、「きちんとNOと言ってきちんと断ること、境界線を明確にすることと、決して敵ではないということを混同しないように」みたいな。「NOという、断るということ=敵だと見なして戦うみたいな、酷いことを言ってきた凄い変な人が居たからはっきりNOと言ってやったみたいな、そういう感じじゃなく居られますように」っていうことです。


共存・共栄とかハーモニーとかね、仲良くやっていくっていうことと、境界線を明確にしてはっきりNOと言うべきはNOと言うっていうことは両立する、っていうかある意味必須。それができないと共存・共栄もハーモニーも難しいんですけれど、どこかで混同し易いので、そこら辺を明確にしていけますようにというお祈りでした、今日の今朝湧いてきた言葉は。


やっぱり自分軸が明確で自分の境界線が明確な人、そういう人がやっぱり成熟した自我を持っていてそういう人は他者とハーモニーを奏でられる、コミュニティの中でみんなでハーモニーを奏でられる。境界線も弱くて自分軸が明確じゃないと、引きずられまくる、引きずられる、つまり、音程が狂って不協和音になるみたいなことが起こりやすい。「はっきりNOと言うと角が立って不協和音が起こるのではないのである」っていうことが混同され易いかもしれないので、広く知られますように、みたいなそういうお祈りでした。


はっきりNOと言えるということが角が立って不協和音を奏でちゃう原因ではないということが理解されますように。

境界線が弱くて自分軸が弱くてNOと言うべきときにはっきりNOと言えないからこそ不協和音が起こってしまって角が立って不穏な空気が流れ出すのであるということが理解されますように。


まず、波風立てたくなくみんなでハーモニーを奏でたいのならば、自分軸をしっかり持って、境界線をしっかり引いて、にこやかにNOと言う、にこやかにはっきりお断りする、にこやかに自分とこの人は違う存在だと理解して、流されない、惑わされない、顔色を伺わない、空気を読み過ぎない。

あの、ハーモニーを奏でるために空気を読むのは大事なんですけれどね。音楽でハーモニー奏でたいとかハモりたいとか合唱したいとかいうときに空気読むの大事、みんなの音程に耳を澄ませるの凄い大事。自分の音程に耳を澄ませて、周りのメロディー、周りの音程、周りが何を歌っているかに耳を澄ませるのは凄い大事なんですけれど、それと同時に、惑わされない、巻き込まれない、引っ張られないっていうの大事じゃないですか。自分がアルトのパートにいるのにソプラノに引きずられてテノールに引きずられてってしていると不協和音になっちゃう、綺麗なハーモニーが奏でられないじゃないですか。そういう、引きずられる形、巻き込まれる形に、空気を読むを使わない、顔色を見るに使わない。顔色を観察して気が付くのは大事、空気にも気が付くのは大事、そして自分はその中でどうするか、自分をきちんと決めて、自分軸できちんと決めて、わたしはわたしの奏でたいメロディーはこれで周囲の人達とハーモニーを奏でられるはず。

もしくは、あまりに違い過ぎると、自分が奏でたいメロディーは西洋音階の讃美歌なのに周りが沖縄音階のエイサーを奏でていたら、「ちょっとここじゃわたしの奏でたいメロディーは奏でられないらしいので」そっと「じゃあわたくしちょっとここじゃないみたいなので失礼致します」と気持ちよく笑顔でスッと去ることができるわけで、「酷い!変な人達が変な音楽歌っていて、わたしこんなの凄い嫌い!」みたいにならなくても良いわけですよね。そんな、怒って相手を敵とみなす必要はない。戦うとかね、相手に沖縄民謡を止めさせるみたいなことをする必要もないし沖縄音階を止めさせることもない。


(「ハイサイ」というリスナーさんのコメントを受けて)沖縄民謡凄い良いですよね、エイサーね。わたしめっちゃ好きなんですけれど、ね。


自分を失う必要はない、自分軸で居つつ、合わせられるなら合わせつつ、合わせたいなら合わせつつ、NOと言いたかったらNOと言いつつ、自分が奏でたいハーモニー自分が奏でたいメロディ自分が出したい音階、自分が出せる音域みたいなのを探しつつ、別に敵ではない。人は人で敵ではないっていう。

で、周りと合わないとき不協和音になっちゃうのが自分が辛い、悲しい、自分が楽しくないとして、それを同調圧力、日本は同調圧力が酷いみたいに周りのせいにするのを止められたら素敵だなと思っているんですよね。やっぱり誰だって不協和音ってみんな気になる、自分だって気になって自分が出すとか凄い嫌だし、周りの人も「ん?今の誰?」みたいな顔して「なに、この音?」みたいに反応周りもしますよね、そりゃあね。それは別に同調圧力じゃないんじゃないかなって思うんですよね。

わたし、本当日本は同調圧力が酷いってあんまり思っていないんですよ。ね。わたしなんかね、こんなド田舎でね、旦那公認の恋人居てね、凄い自由気ままにやっていますけれど、同調圧力で嫌な思いあんまりしていないんですよね。で、やっぱりちょっと、同調圧力の正体は、多分、不協和音っていうものに敏感な人が多い、日本人はHSPさんが多くて、エンパスさんが多くて、空気読む力が強い人、人の顔色に気が付く能力が高い人が多いので、気が付く、「えっ?」って、自分が気が付くと自分を責めちゃうし、周りが「えっ?」って思ってこっち見ていると気が付くので、それを気が付いたときにそれを同調圧力だと思っちゃうんじゃないかって思っていますね。いやそれは気が付いただけ、周りもこっち見ているのを気が付いただけだし、自分も気が付いただけで、、、。

で、ハーモニーが奏でたいのだったらこうですよって教えてくれる人がもしかしたらいるかもしれないけれど、それは本当良かれと思っているだけで「圧力なのかな?それ?」みたいな。


(「5人の恋人。ハーレムですねぇ。」というリスナーさんのコメントを受けて)え?5人の恋人いないですよ、5人はいないですよわたし。「公認」って言ったんです、公認。1人です、今は。


えー、、、で、なんでしたっけ、お祈りから離れていますけれど。ね、なんか持論を述べるのに忙しくてお祈りから離れちゃっていますけど。


・・・。


自分軸で境界線が明確にすることと、周囲と和気あいあいと和やかにハーモニーを奏でるっていうことは両立する、というか、境界線明確で自分軸明確でNOとはっきり言えないとハーモニーは奏でられない、ということが腑に落ちますように。

まずは自分自身に耳を傾けて、自分自身の顔色をしっかりと見ることができますように。

その上で、周りの人にNOと言うべきはNOと言い、距離をとるべきは距離をとるっていうことを、戦うとか敵とみなすとか抜きでやれますように。
それができたときにハーモニーが成立する、奏でやすくなる、っていうことに気が付けますように。

ハーモニーが奏でたい一心で自分軸を無くして境界線も無くして合わせよう合わせようとしたら返って引きずられて引っ張られてグラングランして、この人はソプラノのメロディ歌ってこの人はテノール歌ってこの人はアルト歌ってこの人はバス歌って「みんなバラバラじゃん!わたし誰に合わせればいいの?!」とかになっちゃうとグラングランになっちゃいますよね。自分はアルトなの?ソプラノなの?」みたいな、「そもそもこの人たちと合わせたい?」みたいなね、「この歌を一緒に歌いたい?」っていうのをまず自分が明確にして、「自分はじゃあアルトで」とか「自分はちょっとここじゃないと思う」とか「自分はこの場では黙っていようかな」とかそういう感じで決めて、で、良かれと思って誘ってくる人「あなたこっち入んなさいよ~」とか「あなた一緒に歌いましょ~」とか言うような人に「わたしはいいです」とか「今日は止めておきます」とか「わたしなんかちょっと音域合わないので、もっと違う歌うたいたいので」みたいにNOと言うべきはNOと言って、それは敵とみなして戦うんじゃなく、それこそ同調圧力だって思って怒るのではなく、敵とみなさず距離を明確にとって自分軸を明確にとって境界線を明確にとった上でのハーモニーこそが美しいのだということが理解できますように、理解されますように。

わたしがそうできますように。みなさんがそれをできますように。

共存・共栄が成し遂げられますように。


・・・。


わたしたちが自分の内界でも美しいハーモニーを奏でられ、外界も美しいハーモニーを奏でられますように。


・・・。


(「他の人とのハーモニー、私にとって、タイムリーなテーマです。音楽、と例えるとイメージしやすいですね。」というリスナーさんのコメントを受けて)ありがとうございます。結局、音楽だと思うんですよね。振動じゃないですか、全ての物質は固有の振動数を持っているって言われていて、波長って言いますよね、波動とか。


わたし、前に家庭菜園のお野菜、、、他の人のね、道歩いていて知らない人の家庭菜園のお野菜にコンタクトしたことあるんですよ、こんにちはって挨拶して。「誰かに食べられるために育てられるのって悲しくないですか?」って聞いたんですよね。そうしたら、お野菜たちがちゃんと返事してくれて。あの、いつもなにとでも喋っているわけじゃないんですけれど、そのときはちゃんと返事してくれてですね、「ぜんぜん」って凄い爽やかな「わたしたちは生きている間中、歌を歌っています。それはとても楽しいです。」って、「それは命の流れ、、、食べられるとかと全然関係なく凄く楽しいです」っていう返事が返ってきて、本当に今みたいな調子「凄く楽しいです」って返ってきて、わたし結構わ~って思ったんですよね。だから、食べられるのが寿命なのか、天災的に枯れちゃう、日照りで枯れちゃうとかっていうようなこと全然受け入れていて、そういうのと関係なく毎日楽しい、歌を歌っているからみたいな。その歌っていうのはその固有の振動数をダ~ッと高らかに鳴らしていることなんだと思うんですよね、きっとね。そうかそれは楽しいよねって思って、あぁそうかそうすれば良かったんだって思ったんですけれど。そんな感じです。


(「美しさを理解出来ますように」というリスナーさんのコメントを受けて)ね、本当に。高らかに自分の歌を歌えますように。高らかに自分の旋律を奏でられますように。そしてそれが他者と共存・共栄できますように。


・・・。


それではみなさん、良い一日をお過ごしください。

では瞑想に移るので、よかったらお付き合いできる方はお付き合いください。一回(ライブ配信を)切ります。




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