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【234日目・朝】祈りは、エゴからの要求でも願掛けでもありません。 溢れ出してしまう願いです。・・・千日祈り on Facebook アーカイブ 2020.9.12

瞑想動画
https://www.facebook.com/hamadachizu/videos/10224872396779691
祈り動画
https://www.facebook.com/hamadachizu/videos/10224872306857443


祈りながら生きていけますように。


自分の意図、夢、願い、思いを持ち、それを願いながら生きていけますように。

今、自暴自棄になっている人が、諦めや絶望を乗り越え、夢を取り戻せますように。

諦めずに生きられますように。

自分が願わずにいられないことを願えますように。

それを表明できますように。


自分がなにをしたいかに気づいて、それを意識に上げられますように。
それが、祈りということ。

人がこの世に誕生するとき、子どものときに自分が傷つけられるように設定して生まれてくる。

そして、
「こういうネガティブな経験があるから愛されたいと願えない」
「自分なんかダメだ、素晴らしい存在と思えない」
んだという事情を抱えるようになる。

そんな絞め殺されてしまった心の扉が、今日開きますように。

そこから良いもの、美しいものがこぼれ出ますように。

心を開いて、願い、夢、大事なものを外に表しながら生きていけますように。



祈りは、エゴからの要求でも願掛けでもありません。

溢れ出してしまう願いです。


そして、あふれ出た
「そういう世界を生きて行きたいのである」
ということを表明すると、その世界に移れてしまったりします。


祈りには悲壮感がないこと。

「それが無くても死なないよ」と気楽な感じに、執着しないこと。
「手に入らないかもしれない」ということを受け入れられる自分になっておくこと。


そして、明確に祈ると、行動も変わります。


本日は、私が歌を習っている中村会子先生のヒルデガルト聖歌をBGMとしてかけています。

ヒルデガルトは、中世ドイツに女性としては初めてキリスト教の修道院長となった方です。

歌の歌詞を大まかに説明すると、

「エデンの園でイブが蛇によって心の扉を閉められてしまったけれど、その扉が今日開きますように」

ということです。


過去を閉ざされてしまった人が、開いていけますように。



祈り、そして瞑想し、祈りや瞑想から受け取ったメッセージを周囲と分かち合いながら生きていきたい。 分かち合うための手段の一つが、こちらのNoteです。 私が受け取ったものがあなたと分かち合えたなら、本当に嬉しい。