数年前にバンクを介して末梢血幹細胞を提供した件

この記事は、末梢血幹細胞を骨髄バンク経由で提供した記録です。なお、コロナ禍の最初期くらいなので、今では大分ちがうのでしょう。

要旨

・まずもって、負担がでかい。とくに提供が決定してからの心理的なあれこれは半端ない。周りにも影響がおおきい。
・コーディネータは親身になってくれる。お母ちゃんくらい
・各種お金はバンクが負担してくれるし、居住の市区町村や加入している保険によっては補助金や保険金が貰えたりする。でも割にはあわんよ。
・やったことに後悔はないが、正直なところおすすめできない。かなしいかな、今の正直な感想。


スペック

私のスペックは次のとおり。いつものとおり。
・私大卒(工学部・電気系)。
・入社以来10数年、同じ仕事(化学系製造業の生産技術)。
・末梢血幹細胞のドナー歴は1回。

ことのはじまり

献血は昔からよくやっておりましたが(30回くらい?)、骨髄バンクへの登録は見送っていました。
ところが職場の同僚が骨髄移植を必要とする病気となり、復帰されたことから提供してみるかな……と思いました。

そこで水泳の選手の方が白血病となったことを公表された頃に京都四条の献血ルームにて献血をする際に、「骨髄バンクへの登録を検討しています」と伝えました。
その場で採血の本数が増え、登録が開始されました。

登録から半年後にオレンジ封筒が来た

実際にドナーとして提供するひとはおおむね登録から二年過ぎるくらいから現われるとか、一生提供しないひとも居るとか、色々聞いていたので完全に油断していました。
半年くらいたったある日、自宅にオレンジの封筒がとどいたのです。

最初に届く封筒は、候補者になったことを報せるものです。この後、

  1. もよりの病院(といっても、骨髄移植ができる医師や設備がある病院です)で、医師から骨髄移植などの一般的な説明を聞く。家族同伴です。
    わたしの場合はこのときに骨髄移植と末梢血幹細胞移植のどちらでも大丈夫か、受けられなものがあるか? と聞かれた覚えがあります。

  2. 次の連絡で健康診断を受けます。赤十字の病院に行きました。

  3. ドナーとして選定され、今度は入院のための診断を受けに行きます。

という流れで、準備がすすんでいきます。

コーディネイターさんは自分の母親よりちょっと若いくらいだと思います。
健康診断から入院まで、そして退院後の1ヶ月検診まで付き添ってくれるし、丁寧に対応してくださいました。また、ちょいちょい電話で状況の確認をされるます。
30代のデカい息子に付き添って病院にくるお母ちゃんみたいなもんです。

ドナー選定後の生活

勤め先には理解を頂けたので、有給を使うことで対応できました。よかったよかった。

ドナーに選定された後は生活に注意が必要です。なにせ、患者さんはドナーから末梢血幹細胞や骨髄液の移植を受けられる前提で治療がすすめられ、直前には御自身の白血球などを全て放射線で死滅させます。
この段階でやっぱやめた、になると病気から身を守る術がなくなるのです。
つまり、ドナーの健康に患者の命がかかってしまいます。
なにが辛いって、この重圧です。私は喫煙も飲酒もしないので、我慢すべきことはほとんどありませんが、「人の命が自分にかかっている」状況はかなり心理的負担がおおきいです。
提供時期の直前1ヶ月くらいは、朝起きては「一日無事にすごせますように」と祈り、寝る直前には「電話がなくてよかったな」と感謝する日々でした。
電話。そう、「諸般の事情でコーディネイトが終了しました」という電話です。
提供一ヶ月前の状態で、入院まで確定しているドナーからの幹細胞提供が不要な状況……それって理由は一つしか思いあたらないです。
無事に提供できるまで、私も気を付けて生活するから、あんたも生きて辿り着いてくれ……そういう気持ちです。この気持ちは患者さんのご家族に及ばずとも近いものがあると思います。

ドナーとして入院

ここまでのドナー選定過程でかかる交通費は、全部実費清算されます。そして、ドナーとして入院する日にも準備費として5千円が渡されました。ですから、(仕事を休むなどの収入減を除けば)金銭負担はほぼありません。

しかし、ドナーは基本健康です。人の病気を治療するために骨髄や末梢血幹細胞を提供するわけですから、健康なのは当然です。
そして、健康なドナーは病院にいてもやることがほとんどありません。毎朝の問診と採血・注射、朝・昼・夕飯。風呂、午後の問診、寝る、以上です。
私の場合は個室が割り当てられていましたので、一人きり。
YouTubeを見るか、読書をするか、昼寝するか。入院直前に5冊くらい本を買いましたが、全部読み切りました。それくらいやることはない。
ドナーが外を歩きまわることは強くは禁止されませんでしたが、事故にあったり変な病気をもらったりするわけにもいかないので、病院外にでないです。

私は末梢血幹細胞移植でしたので、4日間にわたってG-CSFという注射を受けました。めちゃめちゃ痛いです。毎年「今年のインフル注射は痛いらしい」と言われますけど、それが毎日です。
あと、この注射は3日目あたりから胸や尻の骨に鈍痛をもたらします。ロキソニンはもらえます。4日目あたりの採血結果で、末梢血幹細胞が増えていれば翌日朝から末梢血幹細胞を抜くことになります。

実際の提供

提供する日の朝は車椅子での移動です。ぎりぎりになって転けて提供不可になると、患者さんは死にます。前述のとおり、移植に向けて薬や放射線で患者さん自身の免疫力を抑えていて、移植されないと病気との戦いにノーガードで挑むことになるからです。
だから、万全の体制ではこんでもらえます。

末梢血幹細胞提供なので、両腕を固定されてボールペンの芯くらいの針を刺されます。片方の腕から血を抜き、機械を通してドナーに提供する幹細胞を取り出して、残りは返すという仕組みですね。
両腕に針がささっているため、腕をうごかすことはできません。そして、時間もかかります。飲み物と軽食、動画試聴用の携帯・タブレットなどの持ち込みは許可されました。どれも飲み食い・試聴せずに医師や看護師とのお喋りで済みましたが、3時間程度で終了です。

提供が終わり、針が腕から抜かれた瞬間の開放感たるや!
もう私にできることは全部やった。人の命に対する負担を心配する必要もない!」これが私の正直な気持ちでした。
そりゃ、自分が提供しますと登録し、何度も意思を確認した上での提供ですがそれでも見ず知らずの誰かの命の一端が私の体にかかっていた、というのはすごい負担です。
もともとは私の体の一部とは言え、注射針を介してバッグに充填された液には何の感慨もありません。献血のときとおなじ。だから、あー終った終った! と一仕事終えた気分でもいいでしょう。

病室にもどり、昼飯もらって時間を潰して夕飯。このあたりで「提供された幹細胞は患者さんに提供されています」という話を聞きました。
はやいな! との感想しかありません。上でも書いた通り、献血のときとおなじで体から抜かれたものはもう私のものではないので、さほどの感情も湧きませんでした。

翌日の診察を経て、問題がなければ退院です。

退院後

退院後はおうちにかえります。なお帰り道に当ると評判の宝くじ売り場で宝くじを買い、お祈りのスタンプも押しましたが300円すらあたりませんでした。

その後、1月くらいあとに検診を受けます。ドナーは定期的にアンケートがきます。

患者さんとの交流

ご存知のとおり、骨髄バンクは移植後1年間・2回にかぎって患者さんとドナー(そしてその家族)の間で手紙のみとりかわしてくれます。中身はチェックされます。
私は自分から出そうとは思っていませんでした。
「わたしが提供したものです」なんて、産直トマトの生産者じゃないんだから。再三書くけど、体から抜かれたものにそれほどの思い入れはないのです。
患者さんのご家族から1年が終わる間際に一通だけお手紙を頂戴しました。無事退院し、生活できているとのことでした。
そのとき初めて「一人の命が救えたんだな」と実感しました。感動するほどのことではなく、ただただ、そういう事実を知った。そんな実感です。

提供後のお金と感謝状

提供前の説明から入院費用、提供一ヶ月後の健康診断までかかる費用はすべて負担してもらえるので、金銭的な負担は全くありませんでした。仕事も調整でき、有給消化したので収入も維持されました。

居住している市区町村が補助金を出していたことと、加入している医療保険が給付してくれることから、お金を頂きました。あわせると20万円くらいです。大きい金額です。
これは頂けるから頂いたわけですが、じゃあもう一度同じ額だすから提供するか? と言われてもしないです。
この市町村の補助金と保険金はお金の点だけで言えば完全にプラスです。しかし、それにまつわる心理的な負担や家族への負担を思うと20万円ごときでは再度やろうという気持ちにはなりません。
貰った20万円はそのまま家計の足しになりました。

提供後、4ヶ月くらいで厚生労働大臣からの感謝状が届きました。この記事を書くために日付を確認するまで、卒業式でもらうあのスッポンって筒にはいったままでした。たぶん、この先ずっとスッポンのなかです。
(別にこのときの厚生労働大臣が嫌いとかってはなしではなく、飾る習慣がないだけ)

まとめて

家族はだれも反対しませんでした。妻、自分の両親、義理の両親ともに、積極的な賛成ではないけど、止められることはありませんでした。
しかし、やはり大分心配をかけたようです。見知らぬ他人の命より夫や(義理の)息子の体が大事、というのは当たり前の感覚でしょう。

骨髄バンクを介して末梢血幹細胞を提供して、後悔はしていませんが積極的におすすめできるほどとも思っていません。今となっては、提供された患者さんがどうなったかも判りません。
たしかに誰かに感謝されるほどのことだったのだろうとは思いますが、人は生きているだけで凄いことなのです。
献血のノリでふらっといって提供するのとは訳がちがう、ほぼ一対一で他人の命の綱を握るなんて経験は人生で一度あれば十分です。

私自身はもうそういう負担はコリゴリなので、提供後1年経過したタイミングでドナー登録はやめました。
でもこういうのでいいのかもしれないな、というのが提供から数年たった今の感想です。人生で一度だけ、見知らぬ誰かの役に立てた。そういうことをしようと決心した、それで満足しているのです。

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