消防団を辞めた話

10年ちょっとの間、消防団員でした。最終階級は部長です。


なぜ辞めたのか

辞めた理由は「精神的に耐えられなくなった」からですね。
今年は悪名名高い「操法大会」の年で、部長として指導することになったのですが全く経験のない分野であったため、なにすればいいのかがわからず後手後手に。
ストレスでてきめん飯が食えなくなりました。

これまで辞めなかった理由

辞めたいと思っても辞められなかったのですが、その理由の一番大きなところは「実家近隣での人間関係への影響」です。
田舎でなんだかんだのつながりが濃い。
そして、その濃さの一部に「跡取りは消防団」という空気がある。辞めると実家に迷惑をかけたり、後々困ったことになるのではないか、という思いがずっと頭のなかにありました。

自分にとって大事なものを見つめ直した

ストレスがひどくなってきて、夜も眠れない、仕事も手につかない、ずっと消防団の事を考えてどうしようと悩んでいる……それがもう辛くなったあたりで妻や実家の両親と相談しました。
家族と話しているなかで、
家族に(とくに妻に)色々我慢させて、その上自分もいやだと思っている活動は自分には合わない
「所詮ボランティアで報酬など微々たるもの(年額3万円程度、それもここ数年個人支給されるようになった)なのに、仕事を早く切り上げたり勉強時間を削ってまで自分のキャリアプランを犠牲にする理由もない
「実家の跡取りって、そんなに大事なことでもない。実家から数十分のところとは言え離れて住んでいるのだから、今住んでいる地域のほうが大事」
家族と楽しく暮すために大事なことを頑張りたい
という思いが固まりました。
そこで消防団を退団することにしました。

手続きはあっさり

分団長に退団の希望を伝え、話を聞いてもらいました。幸い、思いをご理解いただけて消防本部にも手続きしてもらえました。
引き止めとかもなく、すんなり辞められたのはありがたいことです。

唯一心残りなのは、後任者にはいきなり部長を引き継いてもらうことになったこと(当然、その後任者の後釜もいきなり班長を引き継ぐことに)です。

正直な気持ち

ぶっちゃけ、正直な気持ちとしては「消防団になど入るんじゃなかったなあ」というところです。
10年ちょっとの間、そんなに熱心に活動したわけでもないのですが、年末の警戒活動や台風時の出動、秋季点検や非常呼集訓練などもありました。
それらはプライベートや仕事を潰してまでやりたいものではなかったのです。消防団員だからしかたなく、という気持で我慢していただけ。

活動するなかで知り合った人の多くはいい人だったので、それが救いです。とくに分団本部の2年間を一緒させていただいた方々には感謝しかありません。

恨みがないわけではない

これも正直な気持ちですが、「操法大会」を強制したがる奴に対しては恨みというよりも消えて欲しいくらいの嫌悪感しかありません。
やりたくてたまらないひとを否定しているわけではないです。やりたいひとだけやればいいじゃないかと入団したときから退団した今までずっと思ってきました。
10年ちょっとの間、操法大会で理想とされる動作を操法大会とその訓練以外のところで見たことがない。火災現場でホース等の準備をするとき、メジャーで10センチずつ間隔を測って置いたりとかしない。火事場はおろか、十分時間に余裕がある非常呼集訓練ですら、そんなことはしない。
「規律が大事」と言うけど、本当に現場で使う技術の上で規律が大事っていうなら理解できます。操法大会のためにしかやらない動作で規律が大事と言われても、役に立ってるとは思えない。
もし、それが本当に役に立っているというのなら、消防職員の練習は操法大会に出動するための動きをやれば良いことになるでしょう。
二年に一度、市区町村で集まり、都道府県で競い、全国でみせびらかすことを強制する操法大会など、北朝鮮のマスゲームと似ています。
そのようなマスゲームを強制される立場から離れられたというのも嬉しいことです。

だからといって、嫌悪感がなくなるわけではないですけどね。

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