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【ラーメンズ月間 Ⅱ】かわいそうなピンクの子犬コロチンの物語

【ラーメンズ月間Ⅱ】の最終回は、他の劇団メンバーさんとの回。
箱の前でブリッジしてる絵、うま!!👏

絵を描くって、この3次元世界を、2次元の世界に映すという、実はとても難しい高度なこと。
それに、絵を描くと、いかに自分が「見てない」かがよくわかる。絵を描くまでは、見てないと言ってもいいくらいだと思う。

こんなだったんだ!思ってたのと違う‥

絵を描かないと、自分の思い込み、現実とのギャップが強くなる。

小さな子どもは、それはそれは夢中になって絵を描きまくる時期がある。
これは、とても大切な時期だと思う。

いたずら、落がき、汚れ、ヘタクソ、ひどい、才能がない…

他からそう言われれば、自分はダメなんだ、悪いことだ、絵は自分が描くものじゃない、関係ない、恥ずかしいことと、絵を描かなくなる

なんでもそうだけど、量を積まないで上達するわけがない。
ある程度の練習もしないで、技術が身に付くわけがない。
こうして本当に下手になる、描かなくなる

そして怖いのは、絵に正解なんかないのに、上手いか下手か、プロや有名人が描いたかどうかが、価値や判断基準になってしまうこと

「絵なんかどうでもいいから、早く字を書きなさい」
平気で当たり前のようにそう言う親、大人を何人も見てきた。

受験に絵なんか必要ない。あんなもの、ただのお遊び、何の役にも立たない、子どもじみたくだらないことか、一部の特殊な才能の人間のもので、そんなことより、人より少しでも早く難しい漢字を書け!
絵を描くなら専門家に習うものだ

さかなクンが小学生の頃、「絵が上手いから習わせたらいい」と教師に勧められた時、お母様が、「そんなことをしたら、この子にしか描けないものが失われる」と仰ったのが、とても嬉しくなった。

私は、保育所が本当に苦痛だった。
絵などの作品を必ずなじったりバカにして大きな声でせせら笑うのがいるから、萎縮して怖くて思うようにできないし、保母からは、描きたくもないものを、このように描けと、すごく怖い顔で強要された。

(小学校はいい先生がたくさんいらっしゃったけど、保母は本当に酷かった…
昼寝の時間があって、起きる時間に起きないと、敷布団の端を勢いよく引っ張り上げて子供を転がし落とすので、怖くて眠れないし、と言って起きているのがばれると、これも怖い顔で怒るので、起きているのがばれないよう、布団の中でただ固まってたり…
今考えても、というか、今は尚更、子ども潰して金取ってたのか!と許せない💢)

自分の内面からでなく、外から上から、押し付けられる。

ドラえもんの絵描き歌のように、誰でも同じように描ける技術も、それはそれでいいけど、絵の教育と言えばそういう発想は、ベルトコンベアで量産されていくような感覚

チューリップの絵、かにの絵は、多くの人が描ける。
ギザギザ3つの花に棒下ろして葉っぱを左右に2枚、四角い体にハサミ2つと足と目。
チューリップやかにと共通認識できるのは便利だけど、本物のチューリップやカニと比べると、ずいぶん違うもの。

ブツブツに切って、プロに任せれば大丈夫。子どもはプロの保育士に、絵は教室に、老人は施設に… 一生懸命プロにお金を払って、自分を不在にして、全体の見えない分業人生。みんなと同じに、享受と消費…
これに違和感なく合ってる人は、それでいいんだろう…なんかマトリックスみたいや

決して、絵画教室などを否定したり、プロを頼らず何でも自分でするべきだとかでは全くないけど、思考が短絡的過ぎるのは怖い‥

「家畜のようだ」‥ そんな、森博嗣先生の言葉が浮かぶ。
「それはそれで、悪いことではない。安全なのだから」という言葉も。


小さな子どもと、何をしたらいいのかわからないという親がいる。
絵を描きたがる頃なら、これには好きなだけ描いていいというものを用意して、親がついてあげれば、いくらでも過ごせることが多い。

小さな子どもは普通、自分の好きなものを描こうとする。
それは自分の内面からくるもの。
とてもよく見ているから描ける
そして、一番にはそれを母親に見せて、ほめてもらいたいもの、共有したいもの
教える、上手下手という上下関係でなく、自分の感覚を大切にする、互いにかけがえのない存在であることを自然に感じる、何気ない幸福…
親と子に自然に授かったものを大切にするこの期間のコミュニケーションは、その後にも大きな力を持つ、とても重要なものだと思う

あー、賢太郎さんのコロチンの絵、可愛い~😆




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