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願わくば私が 1週間の付き添い入院記

毎日暑いですね。
我が家では巷で話題のエアラブというファン付きベビーカーシートを購入しました。

乗っている子どもには涼しい風が送られ快適。ベビーカーを押している親は汗だくですが、子どもが快適ならオールオッケーです🫧

娘が生後9ヶ月になった頃、
我が家にとって大きな試練がやってきました。
それは娘の発熱です。
結果的にこれが病であると判明し、娘は人生初めての入院となりました。
(色々と振り返るので長くなります)

これまで発熱といえば、予防接種の後の副反応くらい。
6月下旬、午前4時ごろに泣いて起きた娘がホッカホカに熱く熱を測ったところ38度を超えていたので朝一で近所の小児科に行くことにしました。
その時の診断は突発性発疹
熱が下がると発疹が出るというもので
娘くらいの月齢に多いそうです。
坐薬をもらって帰宅しました。

高熱が続くものの母乳やミルクは変わらず飲めていたので一安心。
坐薬を入れると熱が下がるけど、薬の効果が切れるとまた上がる…というのを繰り返しました。
小児科の先生曰く2〜3日で下がると思うよ🧑‍🏫とのこと。
この日は熱のせいか細切れ睡眠で機嫌も悪く、2時間おきくらいの夜泣きでした。
そして次の日も熱は上がり、下がる気配を見せません。この日は土曜日だったので夫に薬を追加でもらいにいってもらいました。
そして、日曜日の午後、娘の様子に異変が…
BCGの接種痕が腫れていたのです。

これまでとは違う明らかな異変でした。
この時点でピンと来た病気がありました。
それが血管に炎症が起こる川崎病です。

日曜の午後1時の時点で娘に見られていた症状は高熱、BCGの腫れ、手足の赤みでした。
私は川崎病が何たるかという詳しいことまでは知らなかったのですが、"BCGの接種痕が腫れたら川崎病を疑え"ということは知っていました。
それは幼馴染が子どもが同じ症状が出た際、受診つくまでに時間がかかったと川崎病の症状をピックアップしInstagramに投稿していたのを読んだことがあったから。
その時は子どももおらず、大変だったんだなぁで終わっていたけれど、幼馴染が書いていた症状と一緒だ!とすぐに川崎病を疑いました。
(幼馴染の投稿でなければ目に留まらなかった。大切な情報を本当にありがとうと後日伝えました🌱)

子どもを出産した病院の小児科に連絡し、
「発熱があり、先ほどからBCGの接種痕が腫れてきました。川崎病の疑いはないでしょうか」と伝え、急遽診てもらうことに。
その後、すぐに大きな病院へ紹介状を書いてもらい向かいました。

様々な検査をした結果、
川崎病の疑いが強いとのことで急遽入院をすることに。
川崎病は発症から5日以内の治療が望ましいそうなのでとりあえず入院して経過を見ることになりました。

この時点の私の持ち物は
母子手帳、オムツ、お尻拭き、娘のおもちゃ、財布でした。
携帯の充電器さえも持っていなかった…。
そして時刻は午後8時。
幸いにも母乳とミルクの混合だったのでミルクがなくても娘はなんとかなります。
娘の荷物に不足がなかったことに一安心し、夫が帰宅して荷物を持ってきてくれることになりました。

入院1日目 (午後8時)
娘は検査を終えて泣き疲れてクタクタ。
病室の説明を一通り聞いたり書類に記入したりしているとあっという間に消灯時間に。
経過観察のために解熱剤は使えず泣く娘を抱っこしたり授乳したりを繰り返して気づけば朝でした。

ここで簡単に。
・病室は個室
・ベッドは子供用ベッド(高い柵付き添い寝NG)
・保護者のベッドは連結ベンチ(幅45cm長さ170cmほど)
・シャワーは予約制
・食事はコンビニ(買い出しは寝ている間に)

入院2日目
朝6時くらいに先生が来て「川崎病と断定して治療しましょう」とのことで点滴を開始。
この点滴は24時間抜けず、終了後72時間完全に解熱しなければ再治療となり、退院できません。
娘から離れると泣くのでベッドに乗り上げて気づけば寝落ちしていました。
娘が寝ている間にコンビニに行く気力もなく、夫の差し入れ頼みに…。
引っ張っちゃいけない点滴vsなんでも舐めたい引っ張りたい娘の戦いがここから続きます。

入院3日目
ひたすらに点滴が終わるのを待つ時間。
2時間ごとに検温、血圧、点滴のチェック。
その度に起きるのでこの日もベッドに乗り上げて寝落ち。
早くもコンビニ食がキツくなってきました。
食べられるのはスナックパン…
シャワーの予約表も娘が寝ている間に行こうと思っても埋まっておりなかなか思うようにいきません。

入院4日目 5日目 6日目
点滴終了とともに経過観察へ。
水分不足にならないように引き続き点滴はついたまま。
ここからは動きたくて仕方がない娘vs取れてはいけない点滴の闘いです。
点滴を捌く…言い方が正しいかわからないけれど点滴が絡まるのを防いだり絡まりを解いたり…ひたすらにしていました。

母が持ってきてくれたお花

点滴は入院4日目に外れ、熱も下がっているのでここからはただ元気になった娘と狭いベッドの中だけで過ごすという感じに。
病棟のプレイルームは使用できなかったので柵付きのシングルベッドに24時間ずっと。
トイレに行く時は柵をあげて、ご飯を食べる時も柵をあげて。
そうすると柵を揺らしながら「なんでママだけ外にいるんだ〜!!」と恨めしそうに見つめてくるので、ご飯をかっこんでまた柵の中に舞い戻るわけです。
そうして指折り数えるように72時間をなんとか平熱で過ごしきり、その後の検査も問題なく6日目の夕方に退院しました。

結局1日1000円を支払ってお借りした付き添い用のベッドは2度ほど昼寝で使いました。
本当はNGとされていた子供用ベッドでほとんど添い寝していました。
私は身長が168cmあり、付き添い用のベンチだともう身動きが取れないんですよね…
あと、ベッドじゃなくてベンチなんです。
かっっったいんです。本当に。体壊す…と思いました。
コンビニのご飯がしんどい、寝れない、洗濯乾燥機がいついっても埋まっているやら。
付き添いの苦労はたくさんありました。

でも、付き添い入院の何が一番辛いかというと
熱を出して苦しい思いをしている子どもに何もできないことだと思うんです。
まるまるとした紅葉のような手に突き刺さる点滴やそのせいで浮腫んでしまう顔や手足。
思い通りに動かせない体、下がらない熱、繰り返される検査や採血。
慣れない環境でいつもなら大喜びのお風呂でさえも大泣きしてしまう状況に思わずにはいられませんでした。

この病気に罹ったのが私だったら。
検査も採血も点滴だって耐えられるのに。

この子のしんどいところを全て引き受けられたら。
泣き顔じゃなくていつも通りの笑顔が見られるのに。

こんなことを毎分思っていました。
なんて無力なんだと。

大人になるまでの間に、たくさんしんどいことや苦しいことを経験するのだろうけど、なるべく明るいところを苦労の少ないしんどくない道を歩いて欲しくて。
何を懸けても守りたい、だなんて思っていたのに現実はそんなことはできなくて。

ただただ手を握り、良くなることを願うしか、医療の力を信じることしかできませんでした。

娘は治療が比較的スムーズに進み、6日での退院となりましたが、小児科の病棟には娘よりも長い間入院している子どもたちがいました。
そして、その子たちに付き添っている家族の姿がありました。
退院する時に思いました。
どうか、入院している子どもたち、そしてその家族にもほっと一息つける瞬間がありますように。

病室からはよくお月様が見えました🌛


慣れない入院生活は6日間で幕を閉じましたが、たくさんの苦労がありました。
我が家にとっては大変な試練、娘は本当によく頑張ったと思います。みんな偉かった!!

皆さんも、皆さんの家族も健やかでありますように。

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