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無償の愛がそこにある 新米母が娘に戻れる瞬間は

今回はニ度目の里帰りについて書きたい。
一度目の里帰りは去年10月。
娘を出産してすぐのことだった。

一度目の里帰りは、親との関係性を改めて考えさせられる期間だった。
娘を産んで、母になった私が、娘に戻れる場所。それが両親のいる実家だと知った。

どうしようもなく涙が出てきてしまったあの夜、抱きしめてくれた母のぬくもりを思い出せば、これから訪れるかも知れない不安や苦しみを乗り越えていけるんじゃないかと思うくらいに。


そして二度目の里帰りは、夫が単身赴任していたことし4月末から5月末。
1か月ずっとお世話になっていたわけではなく、平日5日間は実家に行き、夫が帰ってくる週末には私も娘も自宅に戻るという生活だった。

二度目の里帰りもまた特別だった。
母が繰り返し、繰り返し、言うのだ。
「孫のことをかわいく、愛おしく思うのは、大切でかわいいあなたの子どもだからだよ」と。
「お母さんにとっては、あなたも孫も一緒に見える。かわいくてたまらない」と。
その瞬間、新米母の私は戻る。
母にとってのたった一人の娘へと。

幼い娘を生かさないといけないというプレッシャー。
何事もなく1日を終え、娘の隣で眠りにつく時、張り詰めていた気持ちをほぐすように細く長く息を吐く。
母であらねばと、しっかりせねばと思うほどに肩に力が入ってしまう。
心も体もカチコチになった頃に始まったのが二度目の里帰りだった。

母も、父も娘をとても可愛がってくれる。
散歩に連れて行ってくれたり、私がゆっくりとごはんを食べお風呂に入れるよう面倒を見てくれた。
これだけで十分助かる。
でも私にとって一番大きかったのは、母と過ごせた何気ない時間だった。

ある時は夕飯の買い出し。
またある時は、図書館に本を借りに。
近所の公園や母のパート先まで散歩。
その道すがら、いろいろな思い出話をした。

私は子どもだった頃、
習い事の記念撮影の時に母が用意してくれた青いワンピースを嫌がって着なかった挙句、拗ねて写真にすら映らなかった。
家庭教師の先生に部活があると嘘をついてサボった。
中学生の頃は親と歩いているところを見られるのが恥ずかしくて買い物もろくに手伝わなかった。
作ってくれたお弁当には文句ばかりを言っていた。

母となった今、思い返すと申し訳なかったなと思うようなことがたくさんある。
ふと、ベビーカーを押してくれている母にそれとなく伝えた。
すると、母は
「その当時もだけどね、今思い返しても全部。どんな瞬間も愛おしかったって思うよ」とポツリ。
それを聞いたら私は涙が溢れそうになり、誤魔化すように娘を見たら、同じように娘を見つめる母の目も潤んでいた。


子どもたちを成人させるためにたくさん苦労もしたし、お金もかかったはず。
語り尽くせないほどの苦労もあったはず。

でもそれは、自分よりも愛おしい存在に
何をしてでも守りたい存在に
ただただ幸せでいてほしい。
その思いから。

私が娘を何よりも大切に思うように、
母も父も私のことを1人の娘として大切にしてくれている。
私が母親になったからといって、2人の娘でなくなったわけではないのだ。
何年経っても私は母にとっての唯一の娘で、いつまで経ってもかわいい存在なのだ。

私もいつか、娘と過ごした全ての日々を懐かしく、愛おしく思い出すんだろうか。
夜泣きがひどくてため息をついた夜も
作った離乳食をひっくり返された朝も
どこにも行けずぼうっと窓の外を眺めた雨の日も
自分の至らなさに打ちひしがれた日のことも
いつか振り返ってたまらなく愛おしくなったりするんだろうか。

娘を大切に思う1人の母であると同時に
私自身も両親から無償の愛を注がれ
大切に思われている1人の娘であると知った2度目の里帰り。
実家は、母である私が娘に戻れる場所。

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