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末代たちの国

とみ @meow164
日本が嫌なら日本から出ていけ、と言われるまでもなく、若者たちは自殺という形で日本から出ていってるし、多くの人々が子を産まない、次世代を育てない、自分の代で終わらせる、という形で日本から出ていってるんじゃないかな。(https://twitter.com/meow164/status/1273259240866459648 より引用)

 近年自殺者数自体は減っているという話だったが、今調べたら若者の自殺率は過去最悪になっているそうだ。日本(そして韓国)の若者の自殺率は世界的に見ても高い。他の国では事故死のほうが多いそうだ(まあ当然である)。若くして自ら命を絶ってしまった彼/女らの多くは「日本が嫌だ」よりもっと具体的な日常の何らかが死の引き金だったのだろうとは思うが、日本社会が他の国と比べて多くの若者に死を選ばせているというのは事実であろう。

 とはいえ、現状自死にまで至る若者は全体から見ればごく一部である。日本社会に不満があっても、多くの若者は死ぬまでのことではないと思っているか、あるいは死ぬまでには至らないでいる。日本は世界でも物質的に恵まれた国であることは事実であり、ある程度の忍耐をすれば、生きていくこと自体は比較的イージーな地域ではあるだろう。ただ、彼らが日本という国を維持するのに積極的に貢献してくれるとは限らない。

 現代の日本社会を生きる上で、(少なくともある程度若いうちの)個人の経済的な最適解は、子供をもたない、あるいは1人までにしておくことであろう。日本で子供を育てるのは非常にコストがかかる。現在の大学進学率は50%を超えており、20年以上親が生活費や教育費を負担しなければならない可能性は高い。それに、高い自殺率が示すように、精神的に子供が参ってしまうこともあるし、あるいは近年話題の発達障害で社会への適応が難しいケースもある。

 子供をもつことにはもちろんメリットもあるだろうが、昔メリットだったこと、例えば地元で就職して老後を支えてくれる、孫の顔が見れる、などは現実味が薄れているし、一方で子供が「負担」となるリスクは増大していると言っていいだろう。さらには、女性の場合なら、出産や育児によるキャリアの影響は男性より深刻に考えざるをえない。生殖がプライベート化し、他人が――親であっても――なかなか口を出せない領域になっている以上、子供をもたないという選択は現実的かつ選びやすいものになっている。

 みんなが子供を作らなければ将来的には社会の維持が困難になるのだが、これは囚人のジレンマのようなものである。みんなで子供をつくれば人口は将来的に維持されるが、仮に自分が子供を作っても全体として少子化が進行すれば、子供をもった人は少子化社会の中で自分の生活のみならず子供の生活までも支えなければならない。その場合、自分にとっても負担が増えるし、子供のほうも大変であろう。

 そもそも、現代の若者は子供をもつ/もたないの選択をするところまで到達すること自体が難しくなっている。お見合い結婚が廃れた今、結婚をするには自分で行動することが求められる。20代で交際経験がない人の割合は2019年のある調査では、男性は4割、女性は2割となっている。男女で差があるが、実際に結婚するときには基本的に男女同数になるはずなので、仮にこの割合が結婚に反映されるとすればこの世代の約4割は未婚のまま生きていくことになるし、当然彼らはほとんどの場合子供ももたない(実際はもう少し結婚する割合は高いとは思うが)。

 人間が有性生殖をする生物である以上、個体群の維持には、全員が生殖に関与したとしても1ペアにつき2個体の次世代を再生産する必要がある。実際には子供をもてない人や成人前に死んでしまう子供もいるので、必要な子供の数は1ペアにつき2以上となるが、現在の日本の人口再生産がそれに遠く及ばないことに変わりはない。

 これはすなわち日本社会が人口再生産という社会の根幹で機能不全を起こしているということであり、若者としてもそれを受け入れる方向で事態は進んでいるということでもある。

 冒頭で引用したツイートでは若者の主体的な選択として、今すぐ死なないとしても、子供を残さないということで「連鎖的生命の自死」とでもいうべき選択をしているように書かれている。しかし実際は、合理的な選択として子供をもたない、あるいはそもそも子供をもつステージに到達できない若者のほうが多いのではと私は思う。ただ、どんな理由にせよ、子供が生まれないという結果は同じである。

 それに、仮に子供をもつという選択肢が現実的なものであったとしても、この日本社会に子供を送り出すということが魅力的に思えない人も大勢いるのではないだろうか。子供をつくるには様々な考え方があるだろうが、「やさしい」人であれば、自分が肯定的に捉えていない社会に子供を送り出すということに少なからず抵抗を覚えるように思う。

 子供に社会をよりよくしてほしいという期待をかけるかもしれないが、今の不干渉を旨とする「個人主義的なやさしさ」に基づけば、子供を生み出さないことでその安穏を阻害しないというのは十分ベターな選択になりうる。生まれなかったことを後悔する子供はいない。

 子供をもたないにせよ、もてないにせよ、少子化という結果は変わらないし、将来的に社会の維持に困難が生じることは想像に難くない。今生殖適齢期の若者たちはこの事実をどう捉えているだろうか。仕方ないと受け入れるつもりなのか、政治が改善することを期待しているのか、それよりも少子化の中で自分が生き残る道を探しているのか、はたまたニッポンざまあみろと思っているのか。

 残念ながら選挙の票田は数の面でも投票率の面でも高齢者なので、高齢者にとって不利な政策は通りにくい。つまり、彼らに割かれているリソースはあてにできない。この国でまだまだ生活しなければならない若者にとって現状の選挙は不利であるし、高齢者は若者ほど少子化改善のインセンティブがあるわけではない。

 最初の自死の話に戻れば、今は自死が難しくて死ねなくても、安楽死があればさっさと日本社会におさらばしたいと考えている若者もそれなりにいそうである。日本よさらば、末代堂々退場す。

(↑2019年(令和元)の人口動態統計である、PDF注意)

 今から考えればあんなに平和だった2019年、出生数は減少止まらず86万4千人であった。今年はこんなことになってしまったので、さらに減るだろう。そして、今年一旦減ったら、来年日常がある程度戻ったように見えても、出生数が元の水準に戻るとは限らないように思う。感染は減ってもしばらくなくなりはしないだろうし、生活様式の変化は人間関係にも少なからず影響を及ぼすだろう。すっかり「不要不急」になった異性関係はその最たるものである。

 今はそれどころではないが、この騒動が少子化に与えた影響が近い将来明らかになるのではないかと思っている。子供が生まれるのは「ディスタンス」ではなく「密」の中からなのだ。

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