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死にたさ

 死にたさが心の片隅に潜んでいるようになったのはいつからだったか。

 中学生くらいの頃には「死ねば全てから解放されるのでは」という考えに至っていたように思う。ただ、死にたいかと言われるとそこまでではなかったようだ。

 高校は中学校より大分忙しかったので、大変ではあったが、それでも比較的楽しかったほうだろうし、そこまで精神的に問題があったわけではなかった。早く受験生活を終わらせたくて勉強は結構頑張った。特に就きたい職業はなかったし、そもそも働くこと自体嫌だと既に思っていたので学部は興味だけで選んだ。

 大学に無事合格し、学部選択も間違っていなかったようで、サークルにも馴染み、前半2年くらいは楽しく過ごしたように思う。それが崩れ始めたのが多分3年目くらいで、学業の忙しさが増したり就活が迫ってきたり、その頃に学校とは無関係にちょっと大変なことがあったりして、精神的に結構負担が大きかった。多分この頃から「下り坂」、すなわちこれから先に自分が期待するものがあまりないであろうという感覚が支配的になっていったと思われる。

 この年は大学の相談制度を何回か利用して、結局何だかんだ乗り切った。ただ問題はその次の年で、就職に興味が抱けない一方で院に進むのも幾つかの事情で非現実的だったため、無理やり就活をすることになった。で、大して何もしないうちにメンタルがやられ、それが体に影響して学業のほうも手が止まってしまった。気分をゲームで紛らわしていたのは最善ではなかったが、朝寝床から出るリズムを維持できただけでもよかったかなと思っている。

 幸い鬱病までは行かなかったようで、心療内科でも病名はつかなかった。先生方のご協力もあって、一応卒業はできた。


 多分「下り坂」の感覚を覚えた頃から、死にたさが拭い去りがたくなったのだろう。これから先、人生に期待するものがなくなったように感じたのが原因だと思われる。他の人がなぜ就活を頑張れるのかわからなかったし、家族形成にも興味がなくなっていた(交際は経験どころか気配もなかったし、子供に人生を押し付けるのも酷だと思うようになっていた。こういうときに交際相手がいるといないとでは変わってくるのだろうか)。結局自分の欲しかったものは自由な時間で、それを手放すのがとても嫌だったらしい。

 鬱病は免れたとは言え、一度陥ったメンタルの不調を完全に戻すのは不可能に思えてしまう。大学に入った頃との自分とはどこかで途切れているような感覚がある。

 とりあえず目標を「卒業」だけにして後は逃げたので、最悪の事態にはならなかったが、「レール」からは若干外れてしまったわけで、微妙な状態である。何かに集中しているときは何ともないが、これからのことを考えるときつい。死にたさが消えることはあるのだろうか。

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