見出し画像

皆不妊国家

(https://twitter.com/yubais/status/1277900469692624898より引用)

 そもそも、既存の政治勢力がどれだけ無能を晒せば反出生主義勢力が権力を持てるようになるんだという話である。今政治に携わっている、あるいはこれから携わる皆様にはくれぐれもそのような事態にならぬよう、頑張っていただきたい。

 とはいえ、仮定の話としては興味深い問題提起である。仮に反出生主義政権が誕生してしまった場合、当然のことながら国民の全ての生殖を阻止すべく政治を行うことになる。ただし、反出生主義政権が誕生したとしても、国民のそれなりの割合は非反出生主義者あるいは反反出生主義者であるだろう。さすれば、彼らを含めた全国民が生殖をしないようにするためには、国民全員を不妊化してしまうというのは最も確実な方法である。

 しかしながら、それは紛れもない国家による個人の身体権への侵害である。非反出生主義や反出生主義者は自分の賛同しない思想に基づいて生殖機能を奪われることになり、当然ながら激しく反発・抵抗するだろう。反出生主義は人生に伴う苦痛を回避するために生殖を否定している以上、他者に苦痛を与える行為も否定するはずであるから、嫌がる人を強制的に不妊化させた場合に生じる多大な苦痛は問題となる。それに、政権にあるとはいえ、国民の何割かが反対するであろう政策を強制的に推進するというのは現実的に難しいし、政権の維持の面で見ても得策ではない。

 というわけで、国民を皆不妊化してしまうというのは反出生主義としても二の足を踏む策であるし、現実的にも、圧倒的大多数が反出生主義者になりでもしない限り難しいのではないかというのがここまでの一応の結論である。反出生主義は他者に苦痛を与えることをよしとしない思想であるため、平和的な説得で反出生主義が達成されるのが一番望ましいというのが反出生主義者の共通の認識のはずである。

 ただそうは言っても、反出生主義政権が国民皆不妊を実施しなかった場合、国民の多くが生殖能力を持っているのだから、どうやって反出生主義を達成するのかが問題となる。個人の身体権を侵害してはいけないからといって、みすみす子供を生まれさせ続けてしまっては政権を握った意味がない。

 ありそうな折衷案としては、子供をつくらなくてよい、つくらないほうがよい方向へと社会を誘導しつつ、生殖を禁止する法律を作り、実際に生殖行為を行い妊娠させた/した個人のみを不妊化の対象とする、というものが考えられる

 まず前段であるが、これは国民の身体を直接侵害するものではないため、反出生主義勢力が政権を握ればまずはこちらに注力するであろう。まずは反出生主義を国民のできるだけ多くに理解してもらうことが目標となるだろう。それに加え、現在行われている子育て支援を最低限(子供の健康や教育に直接かかわるもの)のみにして子供をもつコストを高騰させることで、子供をつくるハードルを上げる(もっとも生まれてきた子供に何ら罪はないので子供の福祉は保障する必要があるのだが)。さらには生殖行為自体を回避させたり、生殖行為をしても妊娠をしないようにする。これはVRを含めた代替性欲処理環境の充実の促進、あるいは避妊手段の廉価化や確実化によってなされるであろう。希望者を無償で不妊化することも考えられる。

 そして後段についてであるが、なぜ子供をつくってはいけないのかを説明し、避妊手段も提供したのにもかかわらず生殖をしてしまったカップルは、説得の余地なしとして、「再犯」防止のため国家が不妊化をするというものである。もっとも性交渉を禁止していない以上(禁止は無理だろうし)偶発的な妊娠というものは生じてしまうだろうから、そういった場合のために無償で安全な中絶手段は用意されるはずである。それに応じない、あるいは隠れて出産までしてしまったという場合は、「子供を生まれさせた罪」ということでもう生殖を繰り返させないためのやむを得ない処置として不妊化がなされる、というわけだ。

 結局身体権を侵害してしまっているのだが、しかし現実でも、罪を犯せば逮捕されるし、裁判を経て懲役刑や、最も重い場合は生命の剥奪である死刑に処されることもある。反出生主義政権は子供が生まれないことを最優先にする以上、平和的な手段でも生殖を阻止できない場合には、身体権を侵害しても生殖を繰り返させないようにせざるをえない

 これは「反出生主義は個人が子供をもつ権利の侵害だ」という話にもつながってくるが、そもそも反出生主義は個人が子供をもつ権利を認めていない。それは「人を殺す権利」や「人の所有物を横取りする権利」と同等の、他者の権利――反出生主義の場合はまだ生まれていない人間の権利――への侵害だと考えている。

 まだ誕生していない人間に権利を認めるというのもややこしい話なのだが、彼らはこれから生まれて権利主体になったときに、生まれたことにより人生に伴う様々な苦痛を被るのだから、それを回避するために「生まれない権利がある」というのが反出生主義の考え方である(権利という言葉を使って説明するならそうなると私は認識している)。既に生まれた人間が子供をもつ権利と子供が苦痛を回避するために生まれない権利が衝突した場合、反出生主義では後者を優先するため、前者は認められない

 ただ、先ほど反出生主義では「子供をつくる権利」は殺人や盗みの権利と同等のものと書いたが、後者ふたつは社会契約として「私はあなたを殺さない/あなたのものを盗まない、代わりにあなたも…」という関係が成り立つのに対し、生殖ではそうはならない。なぜなら今生きている我々は既に出生を経てここにいるのであり、子供を生まれさせることはできても、その子供に生まれさせられることは不可能だからである。そのため、他の社会契約的なロジックに基づく立法は、生殖の場合は難しいのではないかと思われる。生殖を罪と定めるのは、それらとは別のロジックが必要になると思われる。

 結局のところ、これは難しいジレンマである。反出生主義はその理論からして、既に生まれた人に苦痛を与えることもできるだけ避けなければならない。しかし、誰にも苦痛を与えずに全ての生殖を阻止するというのも難しい話である。どうしても反出生主義に賛同しない人たちが生殖をしてしまうからである。これまで幾度もの苦難を乗り越え、人類の系譜をつないできた者たちである、反出生主義政権が「生殖は止めましょう」などと言ったところで全員が聞くわけないのである。本気で全ての生殖を阻止しようとするなら、個人の身体権の侵害は避けられないであろう

 というわけで、国民皆不妊はしないまでも、生殖を繰り返しかねない者については不妊化しないと出生を防げないのではないかという話であった。真面目に書いてはいるが、これはなかなかに怖い話であって、逆転すれば、生殖を国民の義務とする出生主義者が政権を握った場合は、生殖を拒否する者に強制的に生殖させるというものになってしまう。逆転なんてできない!というのが正しさであるのだが、こっちが正しいなんてそう簡単に言えるものではない。

 反出生主義というのはチャイルドフリーとは異なり、他者の生殖にまで干渉せざるをえない思想である。自分の子供も、他人の子供も、どちらも生まれることで不可避に被る苦痛から守られなければいけないと考えている。そのため、反出生主義を実現しようとすると、賛同しない他者が権利と考えているものを侵害せざるをえなくなる。もちろん反出生主義に賛同してくれるように言論で手を尽くすのが先ではあるのだが。

 長くなってしまったが、反出生主義の実現を真面目に考えると、どうしても今生きている人間と衝突することになる。難しい問題である。


 ところで。

 少子化が止まらないらしい。今年に入って4月までの出生数が、前年の同じ月と比べていずれの月も10%以上減少しているそうである。これはコロナの影響ではない。赤ちゃんたちがおなかに宿った頃には、まだ誰もこんなことになるなんて思っていなかったはずだ。

 個人的には去年後半がそんなに子供が減るような暗い雰囲気だった印象がないので、どうしてこんなに減っているのか疑問に思う。そもそも子供を産む世代の女性の数が減っているのか?まさか来年がこんなことになると予想していたわけでもないだろうし、巷で反出生主義が流行っているわけでもあるまい。

 理由はどうであれ、この少子化加速の中でコロナ禍である。より一層の出生数減は避けられないであろう。コロナそれ自体が妊婦や新生児に影響を与えるというよりは、社会、特に経済の先行き不安が問題である。この事態で諸外国ほどではないにせよ多くの人が職を失っただろうし、今は持ちこたえている企業も、数か月後、数年後に力尽きてしまう可能性がある。子育てのコストが高くなっている現代日本において、この状況で子供をつくるのは大きなリスクである。

 さらには、「密」を避け「ディスタンス」を確保することが求められるようになった「新しい生活様式」の中では、異性との出会いも不要不急の交流に含められがちであろう。今年の出生数のみならず、この先の婚姻率や出生数にも影響が及びかねない。

 どのくらいまで出生数が落ち込めば、少子化も諦めムードに入るのであろうか。そうなったときは、反出生主義勢力が政権を握るのもあながちない話ではないかもしれない。反出生主義から見れば、社会の維持の問題はあるとはいえ少子化はポジティブな現象である。現実が変わらないのならそれをポジティブに捉えなおせばよいと多くの人が考えたときが、反出生主義政権がこの国に爆誕するチャンスである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?