見出し画像

淘汰

 これを書いているのはもう正月休みも残り僅かの夜である。朝になれば、また日常が戻ってくる。今年の年末年始は年越しが週の中ごろに来たため、いつもより長い休みだった。これより長くなることはなかなかないだろう。

 去年1年間に日本で産まれた子供は約86万人だったそうだ。今年の新成人は約122万人だそうだから、この20年間で30万人以上減っていることになる。

 でもまだ90万人近く産まれているのである。すごいなあと思う。自分はこの社会に自分の子供を連れてくる気にはならない。このnoteでは反出生主義関連の話題が多いのだが、そこで扱われる出生の普遍的な構造的問題を抜きにしてもである。労働時間は短くなる気配がないし、だからと言って賃金が上がるわけでもなく、社会保障の先行きも不透明である。老後のために2000万円貯めましょうという話も上がったが、多分子供を育てていたらそんな余裕ないであろう。自分の老後のために子供をつくるのも申し訳ない。

 ジレンマである。少子化の解消のためには子供をつくっていくしかないが、しかし人口置換水準を割り込んでも少子化が止まらない社会に子供を連れてくるのは倫理的にどうかと思う。今から生まれる子供は強制的に少子高齢化社会に巻き込まれることになる。

 少子化、大きな要因は出産適齢期の女性自体が減っていることだろうが、未婚化・晩婚化も影響しているだろうし、経済的な問題で子供の数を抑える家庭も多いのではと思う。子供が将来いい職につけるようにと思えば、課金は底なしである。

 やはり将来豊かになるという希望が薄いから、子供も産まれないのではと思う。結婚や出産への圧力がなくなった現代においてはなおさらである。結婚するか、子供をもうけるかは個人の問題なのだから、当然個人が将来をどう思っているかが反映されてくる。自分が率先して子供をつくったところでみんなもそうして少子化が解消される保証はないのだから、個人最適解は自分で育てられる数の子供しかつくらない(ゼロ含む)になるだろう。そもそもパートナーを見つけるところから難しいか。

 少し前に「良心的反出生主義」というワードをTwitterで見た。リベラルで優しい若者は、社会の情勢を見て、子供にできるもっともよいことが産まないことだと悟るという話である。反出生主義はもともと全ての出生を否定するものなので、厳密にはこれが反出生主義かは微妙だが、子供のことを考えて産まないというのは共通するだろう。

 かくして優しくリベラルな人たちは淘汰されていく。現代は淘汰の時代であり、リベラリズム自体が淘汰されつつあるように見える。少し前に「負の性欲」なるワードがバズったが、結婚や出産の圧力の少なくなった現代では「負の性欲」が遺憾なく発揮されやすく、他の仕事や娯楽も豊富なため当然生殖の優先順位は下がる。子供が少ない文明は子供の多い文明に取って代わられるのが自然の摂理である。

 でも、リベラリズムも淘汰されて本望ではないか?人権というのは生きていると侵害される可能性があるから発生する(空気を吸う権利はわざわざ主張されない)。つまり、生まれなければ何の権利も侵害されないし、全く自由で平等である。リベラリズムは人類の絶滅により完成するのではないかとすら思う。究極のリベラリズムは反出生主義になるだろう。

 少子化、すなわちパートナー関係を築けず子供も残せないことは彼らにとって紛れもない淘汰である。しかし、遺伝子上は淘汰された彼らがすぐに消えるわけではない。現代人は生殖適期以降の人生も長いのである。

 今後は個人の淘汰、言い換えれば社会からの退出も進むように思う。というか、個人的には早く楽に社会から退出したいというのが本音である。

 最初のほうで述べたが、自分は子供をもうける気はないし、その前提ではパートナーを見つかるかもわからないから、今後のライフイベントは特にない。生物としては淘汰された側である。それに、あんまりこの社会とも相性がよくないようで、今後の人生がそこまで楽しみでもない。このあと数十年労働が続くなんて考えたくないし、老後生きてたらどうしよう。

 こういう人、結構いるのではないだろうか。老後が不安なのはいつ死ぬかわからないからである。いつ死ぬかわからないし自分で死ぬのも大変だから、生活に安定を求めざるをえない。仕事もしたくないけど、生活を止められないから働かざるをえない。苦痛なく社会から退出するための仕組みが必要である。

 そもそも人生自体、他人から勝手に始めさせられたものなので、自分でやめられない、やめるのがとても大変でリスキーというのはおかしいのである。淘汰されるのはわかったので、いいタイミングで抜けさせてほしい。そのほうが次世代の負担も減るだろう。

 まあ少子化の時代にあって、老人が減るならともかく、現役労働世代が減ってしまいかねないような制度ができるとは思えないのだが。早く楽になりたいものである。前の大阪万博で描かれた2020年はこんなじゃなかったはずだけどなあ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?