見出し画像

反出生主義の「強い」言葉

 何事にも過激派というのはいるもので、反出生主義もその例外ではない。とはいえ別に実在の人物に危害を加えるわけではなく、Twitterなどで攻撃的な言葉を使うという程度の話なのだが。しかしあからさまにワードのチョイスに「強さ」が感じられるので、自分からは過激に見えるし、同じような思いの人も結構いると思う。

 まず代表的なものは「ナタカス」。これは出生主義者すなわちナタリストのカスという意味であろう。また「強産魔」というのもある。これは無理やり子供をこの世界に生み出した人という意味で、強姦魔になぞらえたものだ。出生はいつでも強制されるものなので「強産」というのは間違いではないのだが。

 最近見かけたのは「繁罪者」というもので、繁殖と犯罪者を組み合わせた造語である。繫殖は罪ということだろう。先ほどの「強産魔」といい「繫罪者」といい、よく考えつくなと感心してしまう。

 ただそうは言っても、その造語のバックにある認識はさておき、匿名であっても多くの目に触れかねないところでこのような攻撃性の高いワードを使うことに抵抗を覚える反出生主義者もいるだろう。このようなワードで反出生主義が広まるかというと、不必要に過激な思想と思われてしまいそうである。もう少し穏健な説明の仕方のほうが好ましい、攻撃性を前面に出さないでほしいという意見も多いのではないか、とTwitterを見ている限りでは思う。個人的にも、そういうワードチョイスの人と積極的にかかわりたくはない。

 もっとも穏健に説明したところで世間に何らかの効果があるかは別の話である。強い言葉を使う人たちは、論理的な説得などしても無意味と諦めているのかもしれない。

 さらに言えば、彼らが「過激派」であることで「穏健派」が「穏健派」として存在できるのではないか、とも思ったりする。というのももしそれらの「強い言葉」の作り手、使い手がいなければ、反出生主義のもっとも「強い」言葉は今穏健とされている人たちが使う、それこそ「生まれないほうがよかった」「子供をつくるべきでない」のようなものになってしまう。

 反出生主義に限らず、仮に「過激派」が重心をそちらのほうに寄せ、結果として「穏健派」が相対的に中道に近くなるという現象、あるのだろうか。反対に「過激派」の反動で重心がより一層遠ざかるということも考えられるが。

 いずれにせよ、反出生主義を普及させるという目的から考えると、反出生主義に関して不必要に過激な言葉を使うことは批判したほうがよいのではないかと思う。批判されて彼らがやめるかは正直疑わしくもあるのだが、少なくとも反出生主義の内部からも批判する姿勢を見せておく必要はあるだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?