結婚と幸福についての疑問

Twitterで「独身のほうが既婚者より4倍も人生が辛い人が多い」という(おそらくTwitter上の)アンケート結果が流れてきた。もっとも独身者でも4割は「良い人生だ」と回答しており、「独身 滅茶苦茶につらい」と言うほどでもないだろう、とは思うのだが、人生が辛い人の割合には、少なくともこのアンケートにおいては大きな差が出ているのは事実である。それほど意外な結果ではないように思う。

 人間も雌雄で番って子孫を残す生物であり、大抵はパートナーを見つけようとするものである。また、結婚したほうがよい、幸福だという後天的な刷り込みがある場合も多いだろう。どちらにせよ、結婚してよかったというのを疑うつもりはない。

 とはいえ、このアンケート結果の傾向が一般化できるものであったとしても、「結婚したから幸福になる」「結婚しない/できないと不幸」と果たして言えるものかと思う2つの疑問があるので、少しそれについて書きたい。

①「幸福だから結婚できる/不幸だから結婚できない」のでは?

 実際には「結婚したから幸福/独身だから不幸」の逆のパターンもあるんじゃないか?ということである。結婚につながる要因として、容姿がよい、経済的に安定している、人柄が魅力的である、などが挙げられるが、それらは結婚を経由しなくても幸福度の向上につながるものであると考えられる。逆に好まれにくい容姿、貧困、難のある性格などは結婚を難しくする要因となるだけでなく、他の様々な場面での困難の原因にもなりうるだろう。

 さらに、もっと単純な話として、不幸な人より幸福な人のほうが結婚相手に選ばれやすいというのはあるだろう。好みは人それぞれとはいえ、一般的には幸福な人と一緒にいたいし、不幸な人と暮らすのは敬遠されるだろう。そのようなわけで、幸福な人は結婚しやすく、不幸な人は結婚から遠ざかってしまうのではないか。

②結婚後、「不幸な人生だ」と評価するのは難しいのではないか?

 結婚には様々なコストがかかるし、そう簡単にやり直せるものでもない。相手を選ぶのも大変だし、結婚に伴う引っ越しや様々なイベントもある。さらに結婚後、子供が生まれたりしたらなおさらである。それらを経た中で、自分の人生を不幸だと評価するには心理的な負荷が大きいことが想像できる。自分が望んだもの、自分がしてきた判断が間違いだったのではないか?と問いかけることになるからである。所謂サンクコスト効果である。

 一方で独身者にとっては自分の人生について否定的評価を下すことも幾分容易いであろう。「結婚していたらもっと幸福になれたのに!」という言い訳が可能だからだ。自分の人生の不幸の理由をパートナーの欠如に求めることができる。この質問では「独身/既婚」という区分がアンケートの構成上なされているため、なおのことそういう理由付けを想起しやすくなっているかもしれない。

 つまり、自分が幸福か不幸かという判断をするにあたって、自分がかけたコストであったり、望んでいたものがどれほど叶ったか(叶ったそれが実際によかったかは別として)であったりが影響してくるのではないか?という疑問が出てくる。もっとも、そういう背景がありつつも、自分が幸福だ/不幸だという評価が自己暗示のように働く可能性も否定はできないとも思う。


 今回はぱっと思いついたものを2つ取り上げたが、他にも疑問点は出てくるかもしれない。個人的には、あまりパートナーが見つかるだろうという期待もしていないし、自分が人と暮らすのに向いているとも思わないので、「おひとりさま」として今後も過ごす可能性が高いわけだが、そういう独身者が幸福に過ごす方法論みたいなものが今後出てくるといいなあと思う。もうそういうジャンルはあるのかもしれないが。

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