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反出生主義者の老後

 まあ、事実である。

 大抵の人間はいつまでも一人で生きていけるわけではない。年老いたり、あるいは何らかの病気で身体の自由を損なったりした場合は、他人の手を借りながら生活することになる。もちろん金銭的には行政の支援を受けられるだろうが、しかし実際に支援するのは他人である。人力に頼らない介護は、今はまだ発展途上である。

 老いてから子供に生活を支援される場合も多いが、子供をもたなかった人にはその子供がいない。そうすると介護などを専門とする人に依頼することになるが、彼らは例外なく誰かの子供である。反出生主義者を含め、子供をもたなかった人は老後、誰に支えてもらうつもりなのか、他人の子供に支えてもらうのは(金銭的対価を支払うにせよ)他人の生殖や養育へのフリーライドではないのかという指摘には一理あるだろう。

 もちろん子供をもたなかった人が老後には完全なフリーライダーになるとは限らないだろう。彼らも現役時代には、金銭的な面で上の世代の老後を支えてきたのである。払ってきた年金を老後受け取る権利はある。

 しかし、年金などを支払ってきたとしても、実際にその年金で動く人が別の誰かの子供というのもまた事実である。子供を育てるのにも当然コストはかかっているし、そのコストを子供のいない人が全く負担していないことはないにせよ、負担したコストの差はあるであろう。実際に親として育てた人からすれば、その分のコストを負担していないのに老後同様に扱われるのを不公平と感じてもおかしくはない。

 それに介護などを下の世代がどれだけやりたいかも問題である。支援者と被支援者が報酬などで納得していれば問題ないのだが、介護業界は人手不足であり、人気業界ではない。少子高齢化の影響で若い世代が減っていく中、人材の確保はますます難しくなるであろう。外国から呼んでくるとしても、彼らもまた他国の誰かの子供である。

 そういうわけで、反出生主義者が生殖に反対しながら、老後他人の生殖を前提としたシステムに乗っかって暮らすというのは、あまりよいことではないように思われる。生活や医療、介護の負担はその時の現役世代の負担になる。これから生まれてくる子供の苦痛を回避するために生殖を否定する反出生主義者は、高齢者になったときに他の人間に負担を強いる状況は受け入れがたいものがあるだろう。

 そうなると、反出生主義者は老後、自分一人では生活が厳しくなったときは自発的に人生を終わらせるべきなのではという話になってくる。そのためには安楽死が必要だろう。非反出生主義者も、特に少子高齢化の中にあっては、子供のいない老人が自分で死んでくれる分には、反対するメリットもなかろう。

 反出生主義には安楽死がセットになるのではないかと思う。ひとつは今まで述べたように、老後、他人に負担を強いずに済むようにするため(もっとも反出生主義が普及した場合、介護してくれる他人もいなくなってしまうのだが)、もうひとつは勝手に人生を始めさせられた人が事後救済措置として自分で人生を苦痛なく終わらせるためである。

 そもそも自分の老後を支えてもらおうという期待を自らの子にするのもどうなのかと思うところはあるのだが、どんな思想信条によろうと子供をつくらないという選択をする人は自分の老後についても考えておくべきであろう。安楽死が認められていない現状で、反出生主義者は老後無理してでも死んで他人に負担をかけるなと言うつもりはない。しかしSNSで反出生主義に賛同する人たちはまだ若い人が多いと思う(SNS自体若者が多いが)ので、先の話だがその辺りの現実も検討しておく必要があると思う。また仮に反出生主義が実現した場合は、ある世代より下がほとんどいなくなるし、最終的には老人ばかりになるので、どうやって最後の世代を生活させるかは課題となる。

 今の若者が介護を必要とする頃には、介護も人間への依存度が低くなっているかもしれないし、あるいは介護制度自体が破綻して介護が一部の特権になっているかもしれないが。

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