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ヴィーガンと肉屋

 ヴィーガンによる「肉屋襲撃」がフランスで問題となっているそうだ。ヴィーガンと言うのはベジタリアンの中でも動物性食品の倫理的問題を根拠に菜食主義の立場をとっている人々のことだ。彼ら曰く、人間以外の動物を食用に「搾取」することは、人間と他の動物とを差別することであり(「種差別」という用語が使われる)、動物にも人間と同様の搾取されない権利がある、とのことだ。

 ヴィーガニズムの論理についてここでの深入りは避けるが、フランスでは近年彼らの一部が肉屋を襲撃するという直接的・暴力的行動をとり始めた。もちろんそのような行動に出るのはごく一部のヴィーガンだと思われるが、市民の間でヴィーガンに対する警戒心が高まってしまうのは致し方ないだろう。動物性食品を食べないとこんなに攻撃的になってしまうのかとすら思われそうである(もっとも黄色いベスト運動から派生した暴動を見る限りその線はなさそうであるが)。

 さて、冒頭のリンクを貼った記事では「平和な共存」が求められていたが、ヴィーガニズムの場合、それは根本的に不可能ではないかと思う。なぜならば、「共存」ではヴィーガンが問題としている「動物の搾取」がなくならないからである。

 ヴィーガンにとって「種差別」は現代の我々にとっての「人種差別」や「性差別」と同じようなものなのだろう。我々は人種差別をする文化や性差別をする文化を暴力的に変えようとはしないまでも、人類共通の課題として文化に関係なく改善を求めている。「私たちのところは奴隷制度はやめますし男女平等にしますが、あなた方のところは好きにやってください」というわけではない。ヴィーガンにとっても同様で、肉食側の言う「共存」というのは「あなた方は肉を食べなくても構いませんが、私たちが肉を食べるのも尊重してくださいね」という要求であり、暴力的手段に訴えるかはともかく、ヴィーガンがはいそうしましょうと同意できるものではない。

 ヴィーガニズムについての私見はまた今度にするが、いずれ「種差別」が人種差別や性差別と同様の地位を獲得する可能性は否定できないと思う。その頃には今は蛮行として非難されている「肉屋襲撃運動」も、少し違ったニュアンスで語られるようになっているかもしれない。

(2019/03/29追記)

「ヴィーガンの人たちが言ってるのは食べる食べないではなく殺す殺さないの問題」というのは分かりやすい表現である。肉は健康に悪いと考えるベジタリアンやある動物の肉を宗教上の理由で食べない人たちとは、健康も宗教も食べる人間の問題なので自分が食べるものは自分で決めるという相互尊重が成り立つだろう。しかしヴィーガンが守ろうとしている権利は彼らが動物性食品を摂らない権利ではなく、食用に「搾取」されている動物の権利であるため、当然ヴィーガン以外の人間の「動物性食品を摂取する権利」と衝突することになるのである。

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