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怒られるのが嫌

 最近新入社員が描いた「やめてほしい怒り方」の漫画がTwitterで話題になったというか炎上したというか、この話はそれが出る前から書こうと思っていたものなのでタイミングが悪い。こちらとしてはあの漫画とは特に関係のない話として書いてます。

 タイトルにもあるように、筆者は怒られるのが大の苦手である。幼稚園の頃からそうだったようで、怒られることはしないようなお利口さんに育った。学生時代もあまり怒られ耐性は高くなく(怒られ慣れていないから当然である)、反抗期もそこまでなかったように思う。

 小さいころは怒られるとすぐ泣いていた。何で泣くのか自分でもよくわからないが、悪いことをしてしまったという後悔の涙ではなかったのではないかという気がする。むしろそれは自分に降りかかった災厄を嘆くものだったのではないか。もともと怒られるのが嫌だから悪いことをしようなんて考えてもいないわけで、怒られる状況というのは不意に、不本意な形で訪れることがほとんどである。自分は怒られないように頑張っているはずなのに、それができなくて怒られてしまう。あるいは「みんな」で怒られる場合もそうで、ちゃんとしていない人のせいで自分まで巻き添えを食ってしまう。子供心に理不尽を感じていたのだろう。

 怒られ耐性が低いというのはあまりよいことではなくて、ひとつは怒られのダメージを少しでもかわすため、反省というより言い訳の方向に行きがちである。自分が悪かったと認めると精神的に非常に負荷がかかる。普通の人はそこから成長するのだろうが…。おそらく怒っている相手の憤りのエネルギーに耐えられず、その内容にまで頭が回らないのだろう。優しく諭してくれればまだいいのだけど、怒る側にそこまで求めるのも難しい。

 もうひとつのよくない点は、「怒られないこと」が非常に重要になるため、怒られる可能性のある場所に入っていくことが非常に難しくなることだ。幼稚園や学校など行かなければいけない場所では最大限お利口にするしかないが、そうでない場にはそもそもそこに入らないことで怒られる可能性をゼロにすることができる。怒られるのが嫌で真面目に頑張ってる側からすると、怒られの発生は地雷みたいなもので、突然踏み抜いて爆発するような感覚である。安全圏にいるのが一番楽なのだが、残念ながらそれは他の人たちが得られる成長のチャンスを手放してしまうことにもなる。

 怒っても何もいいことないんじゃないかと思うんだが、怒る側からすれば理由(怒りっぽい性格というのも含めて)があって怒ってるわけで、我慢しろと言うのも無理があるんだろう。筆者は他人に怒ることがほとんどないので、理解できないし怖いのだが、仕方ないのか。

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